kenyaのはてな

日常の何気ないはてなを呟いていくんだ

学問の憎しみ

f:id:kenya0411:20200227032713j:image

皆様おこんばんは!元気かい?連日ニュースに取り上げられている新型ウイルス、驚異は凄まじくパンデミックにまで発展しそうです、私は外出を極力控えてかかる前から首にネギを巻く生活をしております、マスクの品薄が続いておりまして購入が困難になっております、予備などは購入せず自分の分だけを購入するようにすれば少しは改善するかもしれませんね、そんな今回は学問について調べて行こうかと思われし、日本には色々な学問がございまして、調べたらオモチロイかと思います!それでは最後までごゆるりとお過ごし下さい 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪学問については体系化された知識を指すことが多い、ただし学問を知識のことだとするのは、あくまで一例であり具体的な意味や目的による定義は多数存在する主観的にも意味合いが違ってくる基本的に学問の名前は接尾語である「学」を付けて言い表すが「学」が付いていないもの多数有る歴史的に見れば学問は様々な場所で行われてきた例えば江戸時代の日本では私塾が藩校などとともに、大いに学問の発展を荷ってきた大学制度が整えられている現在では、学問は大学によって主導されていることが多いが、その他の様々な研究所で行われていることもある近代教育が確立される以前の「学問」は知の体系を指すという意味以外にも今日の言葉で言う「人間学」や「教養」を意味する使われ方もしてきた儒学でいう「聖人の学」などという言葉の文脈で使われる「学問」は今日の自然科学・社会科学・人文科学という意味での学問ではなく人格を修養する手段としての学問である日本においても、江戸時代の儒学者などのいう「学問」は人間の修養と社会を治める知識としての学問の両方を意味していた現在ある学問が存在すれば一般的には、それに関連する学会が(ひとつ乃至複数)存在しており、その学問の発展に関与しており各学者は一般的には当該学問のいずれかの学会の会員となっていて自身の研究の成果を発表することで認知を得たり、あるいは他の学者の発表を確認することで当該学問の最新の情報を把握し自身の研究に役立てようと努めている学問の追究によって得られた知識などは学会での発表だけでなく各種学術雑誌での公表の出版など様々な方法で公表される可能性がある、ただし特に自然科学系の学問においては数限られた定評ある学術雑誌などで査読を経たうえで公表された知識のほうが最も正式なものと認知され、そうではない知識に比べて格段に信頼される傾向が強いぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【哲学】‬
‪紀元前の古代ギリシアから現代に至るまでの西洋の哲学を眺めてみるだけでも、そこには一定の対象というものは存在しない西洋の哲学を眺めるだけでも、それぞれの時代の哲学は、それぞれ異なった対象を選択し研究していたソクラテス以前の初期ギリシア哲学では対象は「自然」であった紀元前5世紀頃のソクラテスは不知の知の自覚を強調したその弟子のプラトンや孫弟子のアリストテレスになると人間的な事象と自然を対象とし壮大な体系を樹立した、ヘレニズム・ローマ時代の哲学ではストア派エピクロス学派など「自己の安心立命を求める方法」という身近で実践的な問題が中心となったヨーロッパ中世では哲学の対象は自然でも人間でもなく「神」であったと謂われることが多い、しかしカッシオドルスのように専ら医学・自然学を哲学とみなした例もあるしヒッポのアウグスティヌスからオッカムのウィリアムに至る中世哲学者の多くは言語を対象とした哲学的考察に熱心に取り組んだ中世の中頃以降は大学のカリキュラムとの関係で「哲学」が自由七科を指す言葉となり神学はこの意味での「哲学」を基盤として学ばれるものであった、さらに時代が下り近代になると、人間が中心的になり自己に自信を持った時代であったので「人間による認識」ということの探求が最重要視された「人間は理性的認識により真理を把握しうる」とする合理論者と「人間は経験を超えた事柄については認識できない」とする経験論者が対立したカントはこれら合理論と経験論を総合統一しようとした19世紀、20世紀ごろのニーチェベルクソンディルタイらは、いわゆる「生の哲学」を探求し「非合理な生」を哲学の対象としたキルケゴールヤスパースハイデッガーサルトルらの実存主義は「人間がいかに自らの自由により自らの生き方を決断してゆくか」ということを中心的課題に据えた、このように哲学には決して一定の対象というものは存在しなく対象によって規定できる学問ではなく冒頭で述べたように、ただ「philosophy」「愛知の学」とでも呼ぶしかないとされているぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【倫理学】‬
倫理学の研究対象とは道徳の概念によって見定めることができる、この道徳の定義の問題に対して異なる見解が示されているが一般的に道徳とは社会において人々が依拠するべき規範を確認するものである、しかし道徳とは理性によりもたらされるものであるのか感情によってもたらされるものであるかについては議論が分かれているデイヴィッド・ヒュームの見解によれば、事実についての「である」という言明から規範についての「であるべき」という言明を結論付けることは論理的にできない、これはヒュームの法則とも呼ばれる主張であり、したがって理性によって道徳的な判断を導くことは不可能であると考えるヒュームは道徳的な判断が感情に起因するものであるという立場にあり、より厳密には自身の利益から道徳性が発生したとも論じている一方でイマヌエル・カントは理性から道徳法則を導き出しているカントは道徳性を自由選択と関連づけて理解しており人間は自分自身の理性に従う時にだけ自由になることができると考える、そして理性によって人格として行為するための道徳的な規範の実在が主張される、このような道徳性の根源についての研究はメタ倫理学の研究として包括することができる道徳性の具体的な内容については規範倫理学という研究領域で扱われている、この領域で古典的アプローチの一つに徳倫理学があるプラトンアリストテレスの研究はその中でも最も古い研究であり彼の分析は人間に固有の特徴に基づいた美徳を中心に展開している例えば危機に際して蛮勇でも臆病でもなく、その中庸の勇敢さを発揮する人間の特性を指して美徳と呼ぶ、このような研究に対して義務論の学説は道徳規則に基づいているカントは人間の道徳法則としてどのような場合においても無条件に行為を規定する定言命法という原理を提唱した、この立場において人間は実在する道徳規則に対して従う義務を負うことが主張される義務論と反対の立場に置くことができる立場として結果論の立場がある、この立場に立った功利主義の理論がジェレミーベンサムによって提示されているベンサムによれば行為を正当化する時の判断の基準点とは行為によってもたらされる結果であり具体的には効用によって計算されるベンサムは行為がもたらす快楽の程度を最大化するように行為する最大多数の最大幸福の原理を提唱したぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【政治学】‬
‪政治研究としての政治学は、さまざまな公共政策の内容とその目的を対象としており個々の具体的政策の検討から、それらが含まれている一連の包括的政策、政策プロセスなどを研究するものであるサイモンによれば、このような公共政策の構造は一般に政策の目的と手段の連鎖からなるピラミッド構造で把握される、このピラミッド構造において、その頂点に近づくにつれ、より漠然として抽象的な価値の領域、すなわち政治の道徳的基礎や倫理的当為を必然的に考察の対象とするようになる、したがって政治学の下位領域として政治思想も主要な対象として成立する政治学が一つの学問領域として認識された19世紀末以降、政治学は科学的手法を採り入れ科学化してきたと言える、それまでの政治に関わる研究の手法は哲学や歴史学、或いは法学といった他の学問領域に由来するものであった、そこでは政治史の研究に見られるように政治現象を記述することや政治哲学もしくは制度論に見られるように政治の望ましいあり方を研究することに重点が置かれた、このようなアプローチは多分に規範的であり価値判断を伴うものであった政治学の科学化は政治学の研究において記述することもしくは価値判断を行うことから政治現象を観察の上で説明し分析することへの力点の変化をもたらした、すなわち現代の政治学では或る政治現象が何故起こったのか政治において何故特定の変化が起こったか或いは当然Aという帰結が予測されるはずなのに何故Bというまったく異なる結果となったかを説明・分析することが求められる、もっと言えば特定の政治現象についてその因果関係を割り出し現象の起こるメカニズムを解明することを目的とする学問といえる、そこでは起こった政治現象が望ましいものかそうでないかというような価値判断は要求されないし、むしろ可能な限り排除されることが求められる、すなわち政治学の研究にはある程度の価値中立性が前提となるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【宗教学】‬
‪経験科学の様々な手法を用いて宗教を研究する学際的な学問であるドイツ語圏ではReligionswissenschaftオランダ語ではgodsdienstwetenschap英語圏の国々においてはscience of religionまたはhistory of religionsという名称の下に近代の大学制度に成立するが近年はreligious studies、study of religionが用いられることが多い、もともとは神学の一部であったが独立しキリスト教の神学以外の分野を対象とするかたちで民俗宗教から新宗教まで幅広く研究する学問分野である現在では研究手法により宗教社会学・比較宗教学・宗教心理学・宗教人類学・宗教民俗学などと分類される特定宗教の教義の研究を行う神学・教学・宗学、あるいは宗教哲学とは区別される広義の宗教学では、これらを含める場合もある宗教学は経験科学の範囲内のみとするか形而上学的範囲を含めるかは課題である宗教学は19世紀後半にヨーロッパにおいて成立した欧米における経験科学の発達および植民地支配等による様々な宗教との接触が発生の背景にある宗教学研究の初期の段階ではキリスト教と他の宗教を比較検討することにより宗教の一般的要素、普遍的要素の追求や進化・発展過程の研究が行われたマクス・ミュラーによるインドの宗教研究に基づいた東洋と西洋の宗教の比較やジェームズ・フレイザーによる古代ギリシア古代ローマの宗教、ヨーロッパ民間信仰、原始宗教の比較研究がこれにあたる社会学・心理学の発展において宗教はその研究対象となった社会学の例としてエミール・デュルケームの『宗教生活の原初形態』やマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』があげられる心理学においてもスターバックの宗教心理学やウィリアム・ジェームズの『宗教的経験の諸相』が19世紀末から20世紀はじめにかけて発表されている文化人類学民族学民俗学においては成立時より多くの研究領域が重なっているといえる、このように宗教学は「宗教」という研究対象に対し様々な研究方法を用いて研究が進められている個々の研究は宗教学の研究であると同時に社会学・心理学・文化人類学等それぞれの研究であるとも言えるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【心理学】‬
‪心と行動の学問であり科学的な手法によって研究される、そのアプローチとしては行動主義のように行動や認知を客観的に観察しようとするものと一方で主観的な内面的な経験を理論的な基礎におくものとがある研究法を質的研究と量的研究とに大別した場合、後者を主に学ぶ大学では理数系として心理学を位置付けている例がある起源は哲学をルーツに置かれるが近代の心理学としてはドイツのヴィルヘルム・ヴントが「実験心理学の父」と呼ばれ、アメリカのウィリアム・ジェームズも「心理学の父」と呼ばれることもある心理学の主な流れは実験心理学の創設、精神分析学、行動主義心理学人間性心理学、認知心理学社会心理学発達心理学である差異心理学は人格や知能、性などを統計的に研究する20世紀初頭には無意識と幼児期の発達に関心を向けた精神分析学、学習理論をもとに行動へと関心を向けた行動主義心理学とが大きな勢力であったが1950年代には行動主義は批判され認知革命がおこり21世紀初頭において認知的な心的過程に関心を向けた認知心理学が支配的な位置を占める1885年にはジークムント・フロイトはパリに行き催眠によってヒステリー患者を治療しようとしていたシャルコーの下で学び同僚と共に1893年に『ヒステリー研究』出版したが、その限界を感じ自由連想法を用い始めた1894年以降、フロイト精神分析学の基礎となる理論を発見し1900年には『夢判断』を出版してその初期の理論を公開し1902年にはウィーンの医者が群れとなって精神分析学研究のセミナーに参加し比較的短期間で世界規模となる最初の国際精神分析学会は1908年、最初の『国際精神分析学雑誌』は1909年に出版されたが追従者のアドラーは1910年に、ユングは1913年にはフロイトの下を離れていったアルフレッド・アドラーは1910年には国際精神分析学会の会長にも推薦されていたがフロイトのリビドー(性欲)の理論を受け入れず翌年には個人心理学会を設立した1916年までは精神分析学の研究はドイツ語圏に限られておりアメリカやイギリスに飛び火したのは1918年以降であり1920年には『精神分析学入門』が翻訳され読者を広く読者を得ニューヨークの研究所は1931年に開設された心理学の第二世代として行動主義心理学が登場し心理学を科学とみなすために行動を実験環境で観察し計測すると主張した1913年のジョン・ワトソンの「行動主義の見地から見た心理学」は心理学の方向転換のための行動主義宣言とされている行動主義の基礎となるのは行動を変化させる学習は報酬と嫌悪刺激(罰)によって変化するという理論である行動主義は戦争をはさんだ軍事学的な統制にも用いられた20世紀半ばにはアメリカでは精神分析と行動主義は2大勢力であった動物実験により1903年にはイワン・パブロフによる古典的条件づけが発表されたB.F.スキナーの表記でよく知られるバラス・スキナーは徹底的行動主義を推し進め1938年にはオペラント条件づけの研究が盛んになった治療に関しては1960年にハンス・アイゼンクが『行動療法と神経症』を出版する行動主義のその行きすぎた傾向においては心という概念なしに客観的な心理学としての観察研究ができるとしたしかし報酬と罰が人間の学習の決定的条件であるとする行動主義は様々な矛盾に陥った動物行動学は学習された行動ではない本能の重要性を明らかにし条件づけの概念に疑問を呈しコンラート・ローレンツは孵化したガチョウが最初に見た動物を親として学習する刷り込みや遺伝的にプログラムされた求愛といった行動パターンを明らかにしたスキナーへの反発から成る「認知の革命」は心的過程へと再び焦点を戻したが、その契機となったのはノーム・チョムスキーであるオペランド条件づけでは報酬と強化による結果として人間が言語を学習すると考えたがノーム・チョムスキーは言語は生得的な普遍文法に沿って獲得され遺伝的な能力で成長と共に成長することを提唱したぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【考古学】‬
‪文字による記録以前(有史以前)の人類についての研究が注目されるが文字による記録のある時期(有史以後)についても文献史学を補完するものとしてモノを通して過去の人々の生活の営み、文化、価値観さらには歴史的事実を解明するために文献以外の手段として非常に重要であり中世・近世の遺跡も考古学の研究分野である近代においても廃絶した建物や戦時中の防空壕が発掘調査されることがある考古学は遺物の型式学的変化と遺構の切り合い関係や土層の上下関係といった層位学的な分析を通じて出土遺物の通時的変化を組み立てる「編年」作業を縦軸とし横軸に同時代と推察される遺物の特徴の比較を通して構築される編年論を基盤として遺物や遺構から明らかにできるひとつの社会像、文化像の提示を目指しているアメリカでは考古学は人類学の一部であるという見解が主流であるが日本では従前より歴史学の一分野とみなされる傾向にあり記録文書にもとづく文献学的方法を補うかたちで発掘資料をもとに歴史研究をおこなう学問ととらえられてきたヨーロッパでは伝統的に先史時代を考古学的に研究する「先史学」という学問領域があり歴史学や人類学とは関連をもちながらも統合された学問分野として独立してとらえられる傾向が強い考古学は比較的新しい学問であり18世紀末から19世紀にかけて地質学者のオーガスタス・ピット・リバーズやウイリアム・フリンダース・ペトリらによって組織的な研究が始められた特筆すべき業績が重ねられてゆき20世紀にはモーティマー・ウィーラーらに引き継がれた1960年代から70年代にかけて物理学や数学などの純粋科学を考古学に取り入れたニューアーケオロジーアメリカを中心として一世を風靡したぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【経営学】‬
経営学とは「社会システムを中心とする環境のなかで企業がいかに運営されているか」を解明する学問である、その対象は今日において企業はわれわれにとってきわめて重要な存在であり、こうした企業についての経営学は基本的なものとして、その他の諸組織に容易に応用出来るので経営学の対象は企業に限定される広くは企業だけでなく官庁組織、学校その他一般に組織といわれるものすべてを含むと考えられる「企業」という特定の領域を対象とする領域学のことである「領域学」とは経済学・社会学・心理学などのように、特定の限られた変数群と一定の理論的枠組みとを用いて対象世界に接近する「ディシプリン[要曖昧さ回避]」の学問ではなく教育学や宗教学と同じように変数群や理論的枠組みを特定化するのではなく、むしろ対象世界を特定化して、それに対して多面的に接近する学問であることをいう、その領域学としての経営学の対象は企業である企業は形式的には生産の担い手であるといわれるが生産という言葉のなかには財・サービスをつくるという意味はもとより、新しい知識を生み出すイノベーションや革新といった意味合いもまた含まれているビジョン達成に向けて企業の組織構造とその機能をどのように設計すればよいか、その方法論や根拠などを明らかにすることマクロ組織論は、こういった目的意識を共有する経営理論の分野である古くはエージェンシー理論、近年ではスチュワードシップ理論などがこの領域では有名コーポレート・ガバナンスなどへの応用が進んでいる持続的な競争優位を確立するためのアクション・プラン設計方法やその根拠などを明らかにすること経営戦略論が、こういった目的意識を共通のメインテーマとしている経営戦略論には全社戦略論と競争戦略論の2つの領域がある前者の全社戦略論ではオリバー・ウィリアムソンやロナルド・コースらが理論化に尽力した取引費用理論、金融工学のオプション価格理論にルーツを持つリアル・オプション理論といった理論などが有名、後者の競争戦略論ではマイケル・ポーターが理論化したポジショニング理論やジェイ・B・バーニーのリソース・ベースド・ビューなどが実務でしばしば用いられている日本ではマクロ組織論、経営戦略論の2つをまとめて経営学と呼ぶ学問体系が確立している日本で初めて経営学の概念を提唱したのは商工経営学と名付けた上田貞次郎東京高等商業学校教授とされる経済学では各主体の行動が市場原理にゆだねられた場合の帰結(均衡)と、そこでの資源配分の効率性や社会的総余剰の適切さについて分析したり社会システムの構造を物象化の機序を明らかにしつつそこに生起する論理と動態を明らかにすることに重点が置かる、それに対し経営学は、いかにすれば企業がその業績や効率性を向上させることが出来るかを明らかにしようとする、つまり社会全体を見るか・一組織を見るかの違いであり経済学的アプローチではミクロ経済学の範疇であると、かつては考えられていた同じ「企業」を観察する場合でも経済学では各企業が合理的な行動をとった場合にどのような状態が現出するかを考察することが多く経営学では企業がどのような行動をとることが合理的かを考察する、などの違いがある以上のような学問的出発点の違いから、経営学では個々の企業間の差異が注目されるのに対し経済学ではその差異にはあまり注意が払われない場合が多い、ただし1980年代以降、経営学分野で経済学理論を基礎とした領域が発達したり経済学でも企業・組織のメカニズムや効率性を分析する領域が発達していることから両者の違いは以前ほど明確ではなくなってきているとは言え経営学は「領域」の学問と言われるように社会学的手法を用いた分野や社会心理学的手法を用いた分野など手法横断的・学際的な発展をしており数学を用いた社会分析に特化し続けている経済学とは一線を画している最近の経営学者・経済学者には、この点を両者の相違としている者も多いぞ‬   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【物理学】‬
‪自然科学の一分野である自然界に見られる現象には人間の恣意的な解釈に依らない普遍的な法則があると考え自然界の現象とその性質を物質とその間に働く相互作用によって理解すること、および物質をより基本的な要素に還元して理解すること(原子論的理解)を目的とする化学、生物学、地学などほかの自然科学に比べ数学との親和性が非常に強い古代ギリシアの自然学「φύσις」にその源があり英語の「physics」という言葉も元々は自然についての一般的な知識の追求を意味しており天体現象から生物現象までを含む幅広い概念だった現在の物理現象のみを追求する「physics」として自然哲学から独立した意味を持つようになったのは19世紀からである物理学の古典的な研究分野は物体の運動、光と色彩、音響、電気と磁気、熱、波動、天体の諸現象(物理現象)である材料力学や流体力学は巨視的現象の法則からなる独立した物理学上の理論体系である、ここで注意しなければならないのは材料力学や流体力学はそれらの適用範囲においては他の理論から完全に閉じた理論体系として存在していることである現代の物理学は、たとえば素粒子論がある一方で熱力学があるように巨視的現象の理論と微視的現象を記述する力学とをつなぐ理論や現象も重要なテーマとして研究されている一般的にこの分野では統計物理学と呼ばれる強力な手法が使われるルートヴィッヒ・ボルツマンらによって開発されたこの手法は構成粒子の振る舞いを統計的に処理することによって巨視的現象と結びつけるものである物理学では理論やモデルを数式として表現することが多い、これは自然言語で記述するとどうしても厳密さに欠け定量的な評価や複雑な推論をすることが難しいためである数学は非常に強力な記号操作体系であるため推論を一連の計算として実行することが可能なことと複雑なモデルを正確・簡潔に表現することに適している、このように言語としての数学は物理学を記述するのに適した特性を備えているが学問としての物理学と数学は扱う対象も方法論も異なる物理学の研究において最も重要なステップの一つは物理法則を数式に表現する前の段階、観測された事実の中から記述すべき基本的な要素を抽出する行為である電磁気学に貢献したマイケル・ファラデーが正規の教育を受けなかったため数学的知識がなかったにもかかわらず、さまざまな発見を成し遂げたことや、ノーベル賞を受賞したリチャード・P・ファインマンが液体ヘリウムについて論じた論文やジョージ・ガモフが初めてビッグバン理論を提唱した論文には数式が出てこないことは自然界の中に記述すべき対象を見つけ出す営みが物理学において重要なステップであるということを示している物理学の歴史は一見異なる現象を同一の法則の異なる側面であるとして統一的に説明していく歴史でもあった地上付近での物体の落下と月の運動を同じ万有引力によるものとしたニュートンの重力の理論は、それまであった惑星の運動に関するケプラーの法則ガリレイの落体運動の法則が万有引力の別の側面であることを示したマクスウェルは、それまでアンペールやファラデーらが個別に発見していた電気と磁気の法則が電磁気という一つの法則にまとめられることを導き電磁波の存在を理論的に予言し光が電磁波の一種であることを示した20世紀に入るとアインシュタイン相対性理論によって時間と空間に関する認識を一変させた彼はさらに重力と電磁気力に関する統一場理論の研究に取り組んだが実現しなかった、しかし、その後も統一場理論に関する研究は他の研究者たちによって続けられ新しく発見された核力も含めて統一しようとする努力が続けられた1967年頃電磁気力と弱い力に関する統一場理論(ワインバーグ・サラム理論)が提唱され後の実験的な検証により理論の正当性が確立した、この理論により電磁気力と弱い力は同じ力の異なる側面として説明されることになった自然界に存在する重力、電磁気力、強い力、弱い力の四つの相互作用のうち、上記の電弱統一理論を超えて電磁気力、強い力、弱い力に関する統一場理論である大統一理論、重力、電磁気力、強い力、弱い力の四つの相互作用全てに関する統一場理論が研究されているが、実験的に検証されておらず現在においても確立には至っていない古典的な物理学では物理現象が発生する空間と時間は物理現象そのものとは別々のものと考えられてきたが重力の理論(一般相対性理論)によって物質の存在が空間と時間に影響を与えること物質とエネルギーが等価であることが解明されたことから現代物理学では物理現象に時間と空間、物質とエネルギーを含めるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【医学】‬
‪エジプトのパピルスの中に「現存する最古の医学書」と言われているものがあり、そこには紀元前3世紀のエジプトにおいてすでに「外傷者に対しては、まず質問検査、機能試験、診断、治療」と記述されており現代と変わらない診療手順を行ったことが明らかになっている医学は歴史をふりかえると経験医療(経験的医療)として存在していた他の各学問が成熟してゆく中で医学も独自性を持った学問として発展し「人体の研究と疾病の治療・予防を研究する学問」とされた近年では「人間を生理的・心理的かつ社会的に能動的ならしめ、できるかぎり快適な状態を保たせる研究」として機能や社会的な面についても見落とさないようにする立場に変わりつつある現在日本で「東洋医学」と呼ばれるものは、おおむね伝統中国医学に相当している西洋医学とは異なる理論・治療体系をもつ医学である「東洋医学」と言う以上きちんとした論理の上に成立しているそしてそれは日本人が持つ生命観や自然観に近いものである中国伝統医学は民間療法とは区別されている東洋医学(伝統中国医学)は民間療法とは異なった考え方に基づいて運用されている一例として生姜の使い方を見ると、どちらも風邪の時に使うことはあるものの民間療法では風邪の時に何の考えもなしにそれを機械的に与えるのに対し中国伝統医学では寒気(さむけ)が強い時のみに使用され、反対に熱感が強い時には使用しないのである、なぜなら中国伝統医学では生姜は体を温める作用がある、と考えているからである日本でも古代より「医」は巫女、陰陽師、僧侶によって中国から伝えられた呪術、医療が行われていた室町時代以降は中国大陸との交易も盛んとなり漢方が積極的に伝わっていった江戸時代以降は日本は独自の漢方医学を発展させ薬学である本草学を中心に診療が行われていった華岡青洲によって記録上世界最初となる麻酔による乳癌手術が行われたりした幕末には国学の影響を受けて漢方伝来以前の医学を探求する動きも現れた現在は中華人民共和国中医学朝鮮民主主義人民共和国では東医学、大韓民国では韓医学として実践されているヨーロッパ世界においては「医」の起源は古代ギリシアヒポクラテスとされているヒポクラテスは学問としての医学を確立し、その後古代ローマのガレノスがアリストテレスなどの自然学を踏まえ、それまでの医療知識をまとめ古代医学を大成した、しかしこうした医学書の多くはギリシア語で書かれていたためローマ帝国の崩壊とともにヨーロッパではその知識の多くが失われ断片的なものが残るに過ぎなくなっていた一方、医学知識はローマの継承国家でありギリシア語圏である東ローマ帝国において保持され8世紀以降アッバース朝統治下においてヒポクラテスやガレノスをはじめとする医学文献がアラビア語に翻訳されたイスラム世界においてもガレノスは医学の権威とされ、その理論を基礎とするイスラム医学が発達した11世紀初頭にはイブン・スィーナーが「医学典範」を著わしたように、この時期イスラム世界では百科全書的医学書が多く編まれイスラムおよびヨーロッパ世界に大きな影響を与えたこれらのアラビア語文献は12世紀に入るとシチリア王国の首都パレルモカスティーリャ王国のトレドといったイスラム文化圏と接するキリスト教都市においてラテン語へと翻訳されるようになった、これによってヒポクラテスや特にガレノスの著作が西欧に再導入され権威とされたほかイブン・スィーナーなどの新たな文献も流入したヨーロッパ中世においては内科学のみが医学とされ外科学の地位は低かった外科医療は理容師によって施術され外科手術や瀉血治療などが行われていた16世紀に入ると、それまでの伝統的医学を打ち破る新たな流れが生まれ始めた解剖学ではアンドレアス・ヴェサリウスが1543年に『ファブリカ』(人体の構造)を著わしガレノスの誤りを修正したパラケルススは医学への化学の導入を試み医化学を確立した18世紀前半にはヘルマン・ブールハーフェが近代的な臨床の方法論を確立した、この時期ジョバンニ・モルガーニが医学と解剖学を結びつけ、病理解剖の創始者となった1796年にはエドワード・ジェンナーが種痘を成功させた19世紀に入ると自然科学の発展に伴い医学も急速な発展を遂げた特に19世紀後半にはロベルト・コッホルイ・パスツールによって細菌学が創始され人工的な弱毒化によるワクチンの生産や多くの病原菌の発見が起き、さらにこれに関連して衛生学も進歩を遂げた日本では安土桃山時代キリスト教の伝来に伴ってわずかに西洋医学流入があったとされるが[19]、本格的な流入は江戸時代中期の1774年オランダ語の解剖学書である『ターヘル・アナトミア』が杉田玄白前野良沢らによって翻訳され『解体新書』として出版されてからのことである解体新書の出版は日本の医学界に衝撃を与え以後医学を中心に蘭学が隆盛するきっかけとなっ近年、伝統中国医学の本場であった中国では西洋医学の医師が増加中で現代西洋医学の利用される割合が増加しつつある反対にアメリカ合衆国やヨーロッパ諸国では西洋医学の様々な問題点が取り沙汰され伝統医学などの代替医療のほうが高く評価され利用率が増えておりアメリカ合衆国では代替医療の利用率が西洋医学のそれを超えた無保険者だけでなく富裕層の利用も増えている日本では西洋的な思考様式に基づく医学を「西洋医学」伝統中国医学の思考様式に基づく医学を「東洋医学」と大きく区分して呼ぶことが一般的である現在日本で「東洋医学」と呼ばれるものは、おおむね伝統中国医学に相当し中国大陸で生まれ発達し日本にも伝えられた[4]。西洋医学が入ってくるまでは日本の主流医学であった江戸時代の日本に「オランダ医学」が入ってきた時に、それらの医学を呼び分ける必要が生じ、オランダの医学に対して中国(漢)の医学という意味で「漢方医学」と呼ぶようなことも行われるようになったという明治政府の方針により西洋医学が主流の医学と位置づけられるようになり東洋医学を行う医師も西洋医学を学ぶことになった、それ以来、日本では西洋医学の利用者数が多くなったが現在でももっぱら東洋医学のほうを好み愛用する人々もおり両者は並存してきたぞ‬

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい!本日も無事にお送り致しました!学問はまだまだ沢山あります、全て勉強するのに100年では全然足りません、まず寿命を伸ばす所から始めないといけないのかもしれませんね…終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【楽しい広場】

https://www.youtube.com/channel/UCRrBuXNviCRDhPo9EDIZauw