kenyaのはてな

日常の何気ないはてなを呟いていくんだ

ぬか漬けマニアの苦悩

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皆様おこんばんは!お元気ですか?まだまだ寒い日が続いておりますね、お風邪などはひいてないでしょうか?わたくしめはここ数十年一度も風邪をひいておりません何故なんでしょうか?そんな今回はぬか漬けについて調べて行こうかと思われし、わたくしめのおうちでは自家製のぬか漬けを仕込んでおりまして、それがマジいの美味しく出来ないの、何がいけないのか知れませんがとても臭いのです、腐っているのかもしれませんね新しく作りなおそうかしら、それでは最後までごゆるりとお過ごし下さいませ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平城京跡から出土した木簡に記された須須保利(すずほり)という漬物は臼で挽いた穀類や大豆を塩と混ぜて床にした現存はしないが糠漬けの原型と推測されている現在の形の糠漬けが出来たのは江戸時代初期と言われている須須保利の穀類・大豆の代わりに精米の際に出る米糠を使ったのが糠漬けである糠に含まれる豊富な栄養を除いた白米に偏重した食事は脚気をもたらし「江戸患い」と呼ばれた当時は現代のような栄養学の知識はなかったが漬け込みの過程で糠のビタミンB1が野菜に吸収されるため糠漬けを副食とすることである程度、脚気を防ぐ効果があったと考えられているぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【糠】‬
‪単品では使用されることが少なく油分が多いことから油(米ぬか油)を絞る、あるいは栄養価が高いことから漬物の一種であるぬか漬けの「ぬか床(ぬかみそ)」として使用される精白せずに玄米や全粒粉といったかたちで糠ごと穀物を食べることもあるタケノコの調理をする際に行うあく抜きと鮮度保持のための下茹での際に使用する場合があるビタミンB群を多く含むため米糠は明治期に脚気に効果あるとされた。この報告は正しかったが当時の識者からは嘲笑で迎えられた福岡県北九州市の小倉・門司地区や行橋市など旧小倉藩に属する地域では鰯や鯖などの青魚をぬか床(糠味噌)その他の調味料で煮るぬか炊き(北九州では「じんだ煮」と称する「じんだ」はぬかみその意の古語が方言化したもの)がポピュラーな郷土料理となっている(→鰯のぬか炊き)現代では「ぬかみそ」と言えばぬか床のことであるが古来は大豆や麹などと合わせて醸造された「ぬかみそ」が現代の味噌のように直接食用とされていた「ぬか炊き」はその名残である日本では合成洗剤が普及するまで米糠は洗剤としても広く用いられていた米糠に含まれるγグロブリンというタンパク質が界面活性剤の役割を果たしているとされている布袋に包んで柱や床を磨き上げるなどの掃除にも利用された家畜や家禽の飼料に配合されることがあるほかキノコ栽培の重要な資材にもなっている近年では脱脂した米ぬかを原料するRB(Rice Bran:米ぬか)セラミックなども開発されている軽量ながら高い強度と硬度を持ち優れた耐摩耗性、低摩擦特性があるため無潤滑のすべり軸受などに利用され、すばる望遠鏡の赤外線分析装置の可動部にも採用されている、その他にもゴムに混ぜる事でウェット面でも耐滑性が得られる事からRBセラミックをゴム底に配合した靴やトレッドゴムに配合した自転車用タイヤなどが製品化されている食物繊維、ビタミン、ミネラルなどの栄養素が含まれている点が見直され特に小麦ふすまを「ブラン」と呼んで健康食品等に利用する例も増えてきているぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【水】‬
‪水は人類にとって最もありふれた液体であり基本的な物質である人が生命を維持するには必要不可欠であり、さまざまな産業活動にも不可欠な物質である古代ギリシャではタレスが「万物のアルケーは水」としエンペドクレスは四大元素のひとつで基本的な元素として水を挙げた古代インドでも五大のひとつとされ中国の五行説でも基本要素のひとつと見なされている18世紀の後半まで洋の東西を問わず人々はそうした理解をしていた。それが変わったのは、わずか200年ほど前のことであり19世紀前半にドルトン、ゲイリュサック、フンボルトらの実験が行われアボガドロによって分子説が唱えられたことによってH2Oで表すことができる水素と酸素の化合物と理解されるようになった常温常圧では液体で透明ではあるが、ごくわずかに青緑色を呈している無味無臭である日常生活で人が用いるコップ1杯や風呂桶程度の量の水にはほとんど色がないので水の色は「無色透明」と形容される詩的な表現では何かの色に染まっていないことの象徴として水が用いられることがあるしかし、海、湖、ダム、大きな川など厚い層を成して存在する大量の水の色は青色に見える、このような状態で見える水の色を日本語ではそのまま水色と呼んでいる化学が発展してからは化学式 H2Oで表され「水素原子と酸素原子は共有結合で結びついている」と理解されている水はかつて1kgや1calの単位の基準として用いられていたすべての既知の生命体にとって水は不可欠な物質である生物体を構成する物質で最も多くを占めるのが水である核や細胞質で最も多い物質でもあり細胞内の物質代謝の媒体としても利用されている通常、質量にして生物体の70〜80%が水によって占められている人体も60〜70%程度が水である地球表面、特に海洋に豊富に存在する水は人類にとって身近であって生物の生存に必要な物質であるが宇宙全体では液体の状態で存在している量は少ないぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【塩】‬
‪日本では岩塩としての資源がなく固まった塩資源は採れない年間降水量も世界平均の2倍であることから日照時間が比較的長い瀬戸内地方や能登半島など一部地域以外は塩田に不向きである、このため塩を作るには、もっぱら海水を煮詰めて作られる、これは天日干しに比べて燃料や道具などが必要になるためコストがかかり大規模な製塩には向かない方法である、そのため自給率は食用塩が85 %であるが工業用を含めると全消費量の85 %を輸入に頼っている海水から製塩するには直接海水を煮詰めて食塩を得るより一度、濃度の高い塩水を作ってから煮詰めたほうが効率が良い、この濃い塩水を「鹹水(かんすい)」と言い、この作業を「採鹹(さいかん)」煮詰める作業を「煎熬(せんごう)」という古代の日本の製塩法は文献や民俗資料から推測されている古墳時代までは『万葉集』に「藻塩焼く(もしおやく)」「玉藻刈る(たまもかる)」などと枕詞にあるように海岸に打ち上げられたホンダワラなどの海草が天日で乾燥されて表面に析出した塩の結晶を甕(かめ)に蓄えた海水で洗い出し塩分を海水のほうに移す作業を何回も繰り返すことにより鹹水を得るというのが一説だが打ち上げられた海草を集めて焼き、その灰を海水に溶いて塩分や海草のヨードなどの養分を溶かし出し灰を布で濾し出して鹹水を得るという説もある海水を煮詰める工程において専用に用いられた土器は製塩土器と呼ばれている沿岸各地の遺跡、遺物埋抱地で見つかっている、この製法は中国地方では弥生時代中期頃に岡山県児島半島付近で始まったといわれている遺跡は岡山県下では足守川旭川下流域、さらには邑久平野へと広がっている、その後、万葉時代頃から揚浜式塩田などの塩田法による製塩に移行していった江戸時代の江戸塩職人は「壷焼塩」と呼ばれる塩を作っていた、これは石臼で挽いた粗塩を素焼きの壺に入れ釜で二昼夜以上高温で焼いて作り上げるが非常に高価で貴重であることから黒船で来日したマシュー・ペリーをもてなす宴会二の膳に出された揚浜式製塩法は入浜式製塩法1950年代には枝条架(しじょうか)式とも呼ばれる流下式製塩法1970年代にはイオン交換膜製塩法へと変化していった、このような海水からの製塩法では副産物として豆腐の原料となるにがりができる1997年(平成9年)に塩などの専売制が廃止され2002年(平成14年)には塩の製造販売が完全自由化された、これ以降、日本各地で流下式といった過去に行われていた製法が復刻され水分を瞬間的に蒸発させる加熱噴霧といった新しい製法で作られる塩も流通しているぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【昆布】‬
‪日本のコンブ生産量は約12万トン生産量全体に占める養殖物の割合は約35パーセント天然物の生産量の95パーセント以上を北海道が占める中国でも80万トン前後が養殖されている北海道の函館市沿岸ではマコンブの養殖が盛んに行われているマコンブは2年生のため、その養殖には2年の時間と手間が必要であり2年栽培のものに近い質を目指した1年の促成栽培もある産業上重要種であるミツイシコンブ、リシリコンブ、オニコンブに関しても、その養殖法は確立されている、その他の種に関しては天然の現存量が多い、もしくは前述の種より利用価値が低いことから養殖法が確立されていないコンブの収穫は小舟から箱メガネなどで海中を見ながら昆布の根元に竿を差し入れ巻き付けてねじり取るコンブ漁に用いられる先が二股になった棒は「マッカ」などと呼ばれる海岸で押し寄せてきたコンブを拾ったり鈎でたぐり寄せる方法もある次に小石を敷き詰めた干場に運び並べて干す1〜2回裏返しにし、まんべんなく乾燥させる乾燥しすぎると折れやすくなるため加減が必要である乾燥時間は半日程度だが、この間に雨に当たると商品価値はなくなるので天気予報で雨が確実な日は出漁を見合わせることもある天日ではなく乾燥機で干す方法もあり品質は落ちるが濃霧や日照不足などの理由で乾燥機の使用頻度が多い地域もあるコンブ干しは最適の天候時に手早く、かつ何度も表裏を返し適切に干す必要があるため干し方専門のアルバイトが募集されるほかコンブ漁場の近くに番屋を張り寝泊まりする地域もある干した後も専用の蔵にて「寝かせ」(熟成)の過程が1〜3年上級品では5〜10年ほど必要であり大変に手間がかかるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【唐辛子】

トウガラシ属は中南米が原産地でありメキシコでの歴史は紀元前6000年に遡るほど非常に古い、しかし世界各国へ広がるのは15世紀になってからであるトウガラシ属が自生している南米ではウルピカなどの野生種も香辛料として使われる唐辛子の辛味成分はカプサイシン類である、この辛さは刺激が強く人により好みがある粘膜を傷つけるため適量を超えて過剰に摂取すれば胃腸等に問題を起こすこともある特に皮膚の弱い部分に附着すると痛みを引き起こすことが多い唐辛子の収穫や加工、料理のため唐辛子を触った手で粘膜に触れた場合、強い刺激を受けるイノシシやサルの採食試験ではトウガラシを食べないわけではないが(ただしタカノツメのように特に嫌がる種類もある)野生獣の嗜好性が低い農作物であるため農地の外周に植えられることがある鳥類はカプサイシンを感じ取るレセプターが存在せず唐辛子の辛みを感じないと考えられており種子の散布戦略としてこのような進化をしたと考えられる野生の哺乳類等は一般的にカプサイシンの辛みを好まないがマウスに少量ずつカプサイシン入りの餌を与えると逆にカプサイシンの入った餌を好むと言った実験結果も存在するぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【干し椎茸】‬
‪しいたけを乾燥させた食品である椎茸は乾燥によって旨み・香り成分が化学的に増すという特徴がある出汁をとったり水で戻してから煮物や佃煮にしたりする、もどし汁も出汁として利用される陽に当てて干すことによってビタミンD2の含有量も増える成長程度の違いから肉厚でかさが開ききっていない(傘の開きがおおよそ七分まで)冬菇(どんこ)と薄手でかさが開いている香信(こうしん、本来は香蕈と書く)さらに両者の中間的存在の香菇(こうこ)の区別がある、いずれも中国での呼び方を取り入れたもので、どんこは中国語の発音「dōnggū」を模している、かさの表面に亀裂の様な模様がひろがっているものは花冬菇(はなどんこ、中国語では花菇)と呼ばれる、この他スライスしてから乾燥させた製品もある‬ぞ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【捨て漬け野菜】‬
‪「捨て漬け」はキャベツの外葉や芯、傷みかけた葉などの野菜くずを入れること米ぬかに含まれる乳酸菌などのエサとなり、ぬか床の発酵を進める役割があります捨て漬けをしないで野菜を漬けると、ぬか漬け本来のおいしさや芳醇な香りは味わえません捨て漬けした野菜は食べられないのでもったいない気もしますが、ゆっくりと乳酸菌を育てていく気持ちで、しっかり発酵するまで捨て漬けを繰り返しましょうぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい!持ってかれましたわたを3分の2いかれました、恐ろしいですねまさかあんな所に潜んでいるとは思いもしませんでした、次回から気をつけないと続けられなくなってしまいます、美味しいぬか漬けを作るのには毎日の手入れが必要とされます、何事も積み重ねが大事だと言う事なのです…終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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芸術家の喜び

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皆様おこんばんは!おげんこですか?わたくしめはとてもおげんこです、1月も後半になりましたね、新年の慌しさも和らぎ落ち着いて来てるかと思われます、ですが気の緩みは事故の元です気を引き締めてお仕事致しましょう!そんな今回は、芸術家について調べて行こうかと思われし、世界各地に存在した奇跡の人、どんな人が居たか知りたいですね!それでは最後までごゆるりとお過ごし下さいませ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪芸術家とは自身の芸術活動を主な収入源とする人を指すアーティスト、アーチストとも呼ばれる日本語の「芸術家」と英語の「artist」には若干の含みの違いがある後述する各分野の専門家のことを指すほか一つの表現手法に拘らず様々な形態で作品を制作している人物について使われる場合が多い例えば絵だけで表現する人に対しては「画家」という肩書きが用いられるが絵のほかに彫刻や建築デザインなど複数のジャンルを手がけている人物に対しては「画家で彫刻家で建築デザイナー」などというよりも簡潔に「芸術家」や「アーティスト」と表現されることがある本来であれば芸術活動に対する支援者(パトロン)からの全面的な支援を受け生計を立てている人か作品の売上を主たる収入源とする人のみを指すが実際には兼業でありながら有名になった芸術家も多いぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【オノデラユキ】‬
‪パリを拠点に活動する日本の写真家、東京都出身、桑沢デザイン研究所卒業、独学で写真を学び1992年に第1回キヤノン写真新世紀優秀賞受賞1993年よりパリに拠点を移すフランスで最も権威ある写真賞「ニエプス賞」を日本人としては田原桂一以来2人目の受賞を果たしている主な作品シリーズに空を背景に古着を写す「古着のポートレート」箱型カメラの内部にビー玉を入れて群衆を撮影した「真珠の作り方」スウェーデンとスペインにある同じ地名の二つの街をステレオカメラの左右のレンズで写した「Roma-Roma」などがあるぞ‬

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‪【青木野枝】‬
‪東京都出身の彫刻家、版画家、多摩美術大学客員教授、鉄を媒介にした空間表現が特徴とされる 「重量感のある彫刻とは対照的に軽やかで繊細、流れるような彫刻で知られている」「鉄という見た目よりもずっと重い素材を使いながら時には藤の籠のような時には草花のシルエットのような重量を感じさせない彫刻を作り出している」鉄は通常、美術用ではなく工業材料として使われるものであるが青木は自分で切って加工をすると新しく生まれ変わるような感覚がすごく好きと述べているぞ‬

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‪【藤本由紀夫】‬
‪1950 年に名古屋市で生まれ2001年と 2007年にヴェニスビエンナーレに出品、同年に国立国際美術館、⻄宮市大谷記念美術館、和歌山県立近代美術館にて同時個展を開催するなど関⻄を中心に国際的な活動を続けています70年代を音楽スタジオで過ごした藤本は伝統的な美術表現の外からやってきたアーティストです「音とモノ」を出発 点とし聴覚、視覚、嗅覚、触覚を喚起する独創的な作品の数々を制作してきました藤本は幼少期より自宅で父親が使わなくなったカメラ、映写機、オープンリールのレコーダーなど 50-60 年代に最先端であった機器をおもちゃ代わりにして過ごしました遊びの延⻑でテープの音を切り繋いだりラジオのノイズを録音 していた経験は後年当時としては珍しく全室スピーカーの設備が備えられた大阪芸術大学電子音楽のコースへ進むきっかけでもありました電子音楽もアナログからデジタルへの移行期を迎える頃「スピーカーから発する音が全て等質に 聞こえる」経験をした藤本はやがてスタジオを出ます、そして再び自宅で藤本が見つけたものはおもちゃのオルゴールでした大きな音を作ることから小さな生の音を聞くことへの転換における新鮮な驚きと共に音とは共鳴する空間そのものである、という気づきはその後の制作に大きく影響を与えます幼少の頃よりそうとは知らずに印象付けられていたマルセル・デュシャンの世界に足を踏み入れ、さらにジョン・ケージを見直し検証するに至ったのもこの時期のことです1990年には目に見えないが空間の中に存在している気配や振動を聞く装置、EARS WITH CHAIR を発表しました二本の⻑いパイプの筒を通して耳の形を変形させたような状態で通常気がつかないで過ごしている周囲の音が増幅されて聞こえてくるこの作品はオルゴールやパイプのような大量生産されたレディメイドを用いる一方で作品を通じて発見されうる外界への新たな認識手段を鑑賞者それぞれの感覚へ委ねるという藤本作品に共通する態度が窺えます‬ぞ

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‪【村上隆】‬
‪自らの作品制作を行うかたわら芸術イベント『GEISAI』プロジェクトのチェアマンを務めアーティスト集団『カイカイ・キキ(Kaikai Kiki)』を主宰し若手アーティストのプロデュースを行うなど活発な活動を展開している同集団はアメリカのニューヨークにも版権を管理するエージェントオフィスをもつ日本アニメポップ的な作風の裏には日本画の浮世絵や琳派の構成に影響されている部分も強く日本画のフラット感オタクの文脈とのリンクなど現代文化のキーワードが含まれている中でもアニメ、フィギュアなどいわゆるサブカルチャーであるオタク系の題材を用いた作品が有名アニメ風の美少女キャラクターをモチーフとした作品は中原浩大の「ナディア」に影響を受けたと本人も認めているアニメーター・金田伊功の影響を強く受けており自分の作品は金田の功績を作例として表現しているだけと話したこともある漫画原作者である大塚英志は教授として就任した大学のトークショーにおいて「現代美術のパチモノ村上隆は尊敬はしないし潰していく我々の言うむらかみたかしは4コマまんがの村上たかしのことだ」と強く非難し現代美術家サブカルを安易に取り上げることや後述のリトルボーイ展の戦後日本人のメンタリティを無視した展示内容に強い不快感を示している一方、精神科医斎藤環は批判者の言説は「村上隆は日本のオタク文化のいいとこどりをしただけ」との単純な論理に依ると捉え、そのような論理は根本的に誤解であり不当な批判を行っているとして厳しく非難している村上の作品はオタク文化から影響を受けているだけでなく、それを昇華させてオタク文化に影響を与えてもいると述べている村上曰く「マティスのような天才にはなれないがピカソウォーホール程度の芸術家の見た風景ならわかる彼らの行ったマネージメントやイメージ作りなどを研究し自分のイメージ作りにも参考にしている」自身に批判的なツイートを公式リツイートすることで炎上商法・炎上マーケティングを行っているとツイッター上で公言している‬ぞ

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‪【大竹伸朗】‬
‪物心ついた頃には身近にテレビがあり昭和30年代に吹き替えで放映されていた「名犬ラッシー」「うちのママは世界一」「ポパイ」「ブロンコ・シャイアン」「とつげき!マッキーバー」等のアメリカのテレビ番組を好んで視聴し大きな影響を受ける1962年、大田区立六郷小学校入学この頃、漫画家になることを決意、第1作目は野球漫画「がんばれ!三ちゃん」8歳年上の兄とともにレコード店に通いアメリカン・ポップスや和製ポップス民族音楽風の民謡などを聴き音楽に興味をおぼえる1964年、練馬区立谷原小学校に3年生の二学期に転入、担任を洋画家篠原昭登が受け持つ、その頃『少年マガジン』に連載されていた漫画『紫電改のタカ』のカラー図版を用いて初めてのコラージュ作品《「黒い」「紫電改」》を制作1965年、練馬区谷原に転居、隣駅の西武池袋線富士見台駅近郊にあった虫プロダクションに絵を持って通い、スタッフから絵の指導を受けたりセル画を貰う兄の影響でビートルズを知る1968年、練馬区石神井東中学校入学サッカー部に入る兄を通じて海外のサウンドトラック・レコードやファッション、アート系の雑誌に影響を受ける東京国立博物館の展覧会「レンブラント名作展」で油絵に興味を持ち岡鹿之助の『油絵のマティエール』をテキストにして独学で油絵を始めるぞ‬

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なんとか本日も無事にお送り致しました、今回はかなり危なかったです、もう少しでわたを持ってかれるところでした、芸術は時に人を感動させ悲しい気持ちを晴れやかにしてくれます、持って生まれた才能か努力で生まれた才能かは人それぞれ、貴方はどのタイプでしょうか?…終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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僕とお習字のチェケラッチョ

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皆様おこんばんは元気かい?2020年になりましたね、今年はどんな1年になるのかワクテカでございます、わたくしめは去年達成出来なかったら事を今年こそは達成したいと思っております!何を達成するかは言えませんが一生懸命頑張るズラ、そんな今回はお習字について調べて行こうかと思われし、子供の頃トラウマになる程苦手だったお習字、嫌な思い出が蘇る事請け合いなし!それでは最後までごゆるりとお過ごし下さいませどうぞ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【書道】‬
‪書道(しょどう)または書(しょ)とは書くことで文字の美しさを表そうとする東洋の造形芸術であるカリグラフィーの一種、中国が起源であるが日本語圏においては漢字から派生した仮名、朝鮮語圏ではハングル、ベトナム語圏では同じく漢字から派生したチュノムやローマンアルファベットを使用するクォック・グーなどでも創作活動が行われている2009年に中国の書道がユネスコ無形文化遺産に登録された文字ははじめ実用として生まれたが、文化の進展につれ美的に表現する方法が生まれた、この美化された文字を書という書道とはこの文字の美的表現法を規格あるしつけのもとに学習しながら実用として生活を美化し趣味として心を豊かにし個性美を表現していくことである、そしてその学習過程において人格を練磨し情操を醇化していく、よって書道は人間修養の一方法であり古来中国では六芸の一つとして尊崇されてきた書道は主に毛筆と墨を使いその特徴を生かして紙の上に文字を書く、その技法(書法)には筆法、間架結構法、布置章法があり、それぞれに様々な方法が編み出され書体や書風などによって使い分けられている技法の習得には色々な教育機関を通じて書家に師事し古典を中心に学習し書道展などに出品しながら技量を高めていくのが一般的である書道史は美術に関する史学の一部門であり本源である中国の書道史と傍系である日本の書道史の2つに大別することができる、その書道史において現存する筆跡がもっとも重要な資料として活用され、その筆跡のもっとも重要な点はいつの時代に誰が何の目的で書いたかということであるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【筆】‬
‪毛は顕微鏡で見るとウロコ状の表皮に包まれた物体であることがわかるウロコ状の部分をcuticleと呼ぶ人毛の場合このキューティクルの隙間は0.1μmであり水などがこの隙間から進入すると毛全体が膨らみ反る、そのため作られた直後では膨らんだり毛が反り返るなどして性能を活かしきることができないススは元素的にはカーボン(炭素)である、このスス成分がキューティクルの隙間に沈着し水分の浸透を防止し膨らんだり反ったりしなくなる、さらにこれによりコシが出て墨の含みも良くなり最も良い状態でその性能を活かすことができる羊毛では作成直後は透通るような白い色をしているが使い込むに従って銀色に、さらに長年を経ると黄金色に輝き使用者自身の書きぶりが毛の癖となって表れ、その人の体の一部の如く使いこなしやすくなる、しかしその状態になるには墨液よりも摩った固形墨の方が良いと言える製造の途中で不揃いな毛などをすいており書字中に抜けてくるのは抜き出し損ねた残りであって少量であれば問題ない切れや抜けが多いと毛が減り割れを起こしたり毛先が効かなくなって使えなくなる‬ぞ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【硯(すずり)】‬
‪現代では石等を研磨し平たくしたもので墨を磨る為に表面に細かく目を立たせたものを用いる墨を溜める為の薄い窪みを墨池(海とも言う)墨を磨る為の少し高い部分を墨堂(丘とも言う)という、この様な現代に一般的に見られる墨池と墨堂からなる硯の成立は墨より遅く古代には乳鉢の様なもので墨を砥いで粉末状にして用いた早くから様々な材質と形状の硯があったが古くは陶硯が主流で円形の皿を多数の脚で支えるものが代表的な形である日本では7世紀から陶硯が利用され始め破損した陶器を再利用した転用硯も多かった∩や冂の形をした硯は中国の六朝時代に登場し六朝時代の終わりに石製の硯が登場した唐代に石硯が高級品として登場し下って宋代に普及品市場も石硯が占めて現代に至る日本で石製の硯は11世紀から見られるようになった日本での硯の使用自体は弥生時代に既に認められている(福岡県糸島市島根県松江市で出土)糸島市の潤地頭給(うるうじとうきゅう)遺跡のほか中原遺跡(佐賀県唐津市)東小田峯遺跡(福岡県筑前町)から出土したのは製作途上の石製硯やそれに関連すると推測される遺物である職人が硯を作る時には、墨を入れる海と盛り上がっている陸の間の滑らかなカーブ状の場所を削るのが最も苦労する場所となるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

‪【墨】‬
‪古代中国の甲骨文に墨書や朱墨の跡が発見されており殷の時代に発達した甲骨文字とときを同じくして使用されたと考えられる文字以外には文身にも使用され、これはのちに罪人の刑罰の一方法となった墨は漢代には丸めた形状に作られ墨丸と呼ばれた現存する日本最古の墨書は三重県嬉野町(現在は松阪市)貝蔵遺跡で出土した2世紀末の土器に記されていた「田」という文字であるとされている日本では『日本書紀』に中国の墨について記されているのが初出である、はじめて国内で墨が作られたのは奈良和束の松煙墨とされる、この松煙墨は「南都油煙墨」と呼ばれ遣唐使として唐へ行った空海が筆とともにその製法を大同元年(806年)に日本へ持ち帰り奈良の興福寺二諦坊で造ったのが始まりといわれる、この油煙墨の製造が盛んになったのは鎌倉時代である江戸時代に入ると各地でも製造されるようになったが古くから技術の高い奈良に多くの職人が集まり、その結果各地の墨の生産は衰えた奈良では日本の伝統産業として今日まで受け継がれている現在の墨の主要産地は奈良県産が9割のシェアを占めるが三重県産(鈴鹿墨)も知られる西洋へはインドを経由して輸出されてインディア・インクやチャイニーズ・インクと呼ばれ改良品も生まれ没食子インクやビストル(英語版)セピアと並び古典的なペン用インクとして使われる耐水性のインディア・インクには水や膠に代わって媒剤にアルコール溶媒やシェラック樹脂を用いた油性のものもあるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【文鎮 】‬
‪重量を利用する具体例として書道において半紙を固定するための文鎮や紙や布などの端に乗せ風で飛ばされるのを防ぐ目的で利用するペーパーウェイトがある固定以外の目的でも重量による効果として白菜漬けの際に付け汁が漬け物全体に行き渡る手助けとして用いたり(漬け物石)味噌を作る際に味噌の発酵を手助けする目的で用いることがある船舶を安定させるためのバラスト水フォークリフトやクレーンを安定させるためのカウンターウェイトのような用い方もある糸や布などの端に吊り下げて利用される重しは通常、おもり(重り・錘)と呼ばれる、おもりは糸などをぴんと張るため、あるいは鉛直を指し示すために利用される例えば釣りにおいて針やえさをうまく投げて沈めるためにおもりが使われカーテンのすそを安定させるためにはカーテンウエイトが糸を紡ぐためには紡錘が用いられる時計の動力とする場合など位置エネルギーを利用するような機械においてもおもりは使われる天秤ばかりなどの重量を計測する機器において測定する対象とつりあわせるために使う分銅についてもおもりと呼ばれる、これは吊り下げ型の天秤が一般的だった頃の名残であり一般に重心に対向して配置されつりあいを取るために利用される重しは、おもりと呼ばれる場合があるぞ‬ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【下敷き】‬
‪下敷き(したじき)とは物の下に敷く物の総称である。または、「倒木の下敷きになる」といった様に何かにつぶされた・もしくは乗っかられた様子を指す用法もある、だがとくに普通名詞としての「下敷き」は筆記をする紙などの下に敷くものを指す一般的に筆記の際に用いられる下敷きの材質は鉛筆・ペンなど硬筆用は堅いプラスチック・毛筆用は柔らかい毛氈であるノートや紙に何らかの事柄を書くとき下に敷いて使う板状の文房具であるノートを開いて下に何も敷かずに字を書き込もうとすると筆記者の筆圧によって多かれ少なかれノートの紙が下に沈みこむことで紙の裏に筆記の跡が残ることがある紙に字などを書く際、紙の下に凹凸があったり紙の下が柔らかい平面だったりすると書きにくい、このような場合、筆記をおこなう紙の下に硬く滑らかな板を敷いて書きやすく・かつ筆記される紙より下に筆記の跡が残りにくい状態にする、おもにこのような用途を目的として作られている板を下敷きという、ある程度の硬さを持ちつつ薄く軽量・平滑であり、さらに子供でも容易に購入できるよう安価であることが求められるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【半紙】‬
平安時代の「延喜式」の細則に和紙の規格の記載があり、その寸法は横二尺三寸(70センチメートル)縦一尺三寸(39センチメートル)でありそれを半分に切って使ったことからこのように呼ぶようになった江戸時代には専ら包装用に用いられ明治時代から習字に用いるようになった、これを更に半分に裁ち(半裁、全紙の1/4になる)二つ折りにしたものが力水を吐き出す際に使う「力紙」現在では毛筆習字用に文房具として大量生産されており最初からこの大きさで漉かれている、もっとも最初からこの大きさ=半紙規格で作られるのは半紙の極々一部「手漉半紙うちの一枚漉き」だけである、この一枚漉き手漉半紙が通常の半紙販路で流通することは稀と言うよりほとんどない、これ以外の半紙のまず全てが、それが手漉であれば「4丁とり」「6丁とり」等と呼ばれる半紙「4枚」「6枚」大の寸法で製紙され製紙の後半紙判に裁断される機械で漉く半紙は巾も1800mmと広いロール状で製紙され半紙に裁断する同一性質の半紙でも需要等の状況により製紙されるロールの太さ=半紙の枚数は異なるが文具ルートや書道ルートの販路に流通する半紙は平均で40万枚程度が一回の製紙で作られるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい!本日も無事にお送り致しました!大人になって触れることが無くなった習字用品、年に一度ぐらいは自分の思いを書き示しても良いかも知れませんね…終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【おまけ】 

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わたち朝ドラでるねん

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皆さんおこんばんは!元気かい?ハッピーニューイヤーでございますね、皆様はお正月どのようにお過ごしでしょうか?わたくしめは寝込んでおります寒いねん貧乏ねん、そんな今回は大人気シリーズ第三弾わたち朝ドラでるねんでございます、朝からドラマなんてやってるの?って思う方も居られるかと思いますがやってるねん、それが面白くて奥様方には大人気でございます、わたくしめが最近見たのはまんぷくと言う朝ドラでインスタンスラーメンが出来るまでの物語でした、最初から最後まで飽きることなく見れてとても心の中に残っております、それに好きな人が出演しているのも楽しく見れた要因ですね!その方は4月から始まる朝ドラにも出演するらしくとても楽しみです、それでは最後ごゆるりとお過ごし下さいませどうぞう

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NHKにおける朝の時間帯の帯ドラマの枠の総称である(夜の時間帯の帯ドラマ枠としては過去に銀河ドラマ→銀河テレビ小説、ドラマ新銀河、夜の連続ドラマ(よるドラ)が存在した)『大河ドラマ』と並んでNHKひいては日本のドラマの代表格としてメディアでも取り上げられ帯ドラマでは唯一スポーツ紙等で週ごとの視聴率の記された記事が公開されている放送形態は1962年の第2作『あしたの風』から原則1回15分・週6話・半年間(26週・156回前後)放送だったが2020年春開始の第102作『エール』からは月 - 金曜の週5話に短縮される第1作放送開始以来、枠としての中断は一度もない作品内容は主人公の半生・生涯を中心に、それをとりまく家族や家庭を描いたホームドラマの体裁がほとんどであり、主人公は女性(ヒロイン)であることが多い‬ぞ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【半分、青い】‬
‪1971年(昭和46年)7月7日岐阜県東美濃地方の山奥、名古屋へ電車で往復約5時間の場所にある東美濃市梟町のふくろう商店街で食堂を営む楡野宇太郎・晴夫婦のもとに難産の末に長女・鈴愛が誕生する、そして鈴愛は同日同病院で一足先に生まれた萩尾家の長男・律と出会う9年後の1980年(昭和55年)小学3年生になった鈴愛は勉強は苦手だが絵を描くことが得意な明るい少女に成長、物理好きで友達の少ない律とは性格が反対ながらも大の仲良しになっていた、しかし平穏な日常の中、鈴愛は突然左耳の不調を訴え両親とともに大学病院へ行ったところムンプス難聴と判明し医者からは「もう二度と治らない」と宣告される不安を感じながらも家族のためを思い涙を堪え律の前でだけ号泣した鈴愛だったが、やがて気持ちを切り替え律や家族の思いやりに支えられながら難聴独特の感覚すら楽しむように成長していく数年後、鈴愛と律は地元の朝露高校に進学、同じく幼馴染の西園寺龍之介(ブッチャー)と木田原菜生も交え高校生活を謳歌していた1989年(平成元年)仲間は受験勉強で遊べず寂しい高校最後の夏休みを送る鈴愛は律から貸し出された秋風羽織作品の少女漫画に夢中になり二学期に入り就職が内定した後に秋風作品の影響と律の勧めで初めて漫画を描きあげる、そして秋風のトークショーに行った際に秋風本人に漫画の原稿を見せ弟子入りの誘いを受けたことを機に就職せず東京の秋風の元で漫画家を目指す決意をする当初は反対していた両親からも紆余曲折を経て進路を認められ高校卒業後の1990年(平成2年)春、鈴愛は東京へと旅立っていく一方、京都大学進学を志望していた律はセンター試験当日朝に誤って鈴愛に受験票を渡していたことが判明、結局は京大受験を断念し東京の私立大学である西北大学に進学し母・和子たちの策略により鈴愛の転居先近くに住むこととなるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【あまちゃん】‬
1984年(昭和59年)夏の「北三陸鉄道リアス線」開通式、歓喜に賑わう大勢の人たちをよそに18歳の天野春子は不愉快な様子で上り列車に乗り込んだ、それから24年後の2008年(平成20年)夏、春子の娘で東京で生まれ育った16歳の天野アキは祖母・天野夏の危篤の知らせを受けた春子に連れられ彼女の郷里である岩手県三陸市袖が浜を初めて訪れる、しかし夏の危篤の話は後継者不足に悩む観光資源「北の海女」を春子に継いでもらおうと北三陸駅の駅長・大向大吉がついた嘘だった24年前に家出同然で上京した春子は、夏との口論の末に東京に戻ろうとするが夏ら海女たちの勇姿と過疎化が進む北三陸の現実を知ったアキは暗く引っ込み思案な今までの自分を払拭し海女になる決意をする(第1週)夫・黒川正宗との離婚を決めた春子とともにアキは北三陸に移住し地元の美少女でアイドル志望の足立ユイと親友になる初代「ミス北鉄」となったユイと海女活動中のアキは観光協会のホームページに動画が掲載されてアイドルオタクの注目を浴び北三陸には二人を目当てに大勢の観光客が押し寄せる大吉ら町おこしに熱心な人々の思いに押され二人は観光PRの広告塔的存在になる、そんな中、久しぶりに袖が浜に帰ってきたアキの祖父(春子の父)天野忠兵衛の口から春子がかつてアイドルを目指していたことが暴露される自分の過去と重ねてアキがアイドルになることを嫌う春子の思いに反し、アキは春子の歌う姿に感銘を受けたことユイと共に「潮騒のメモリーズ」として大勢の人前で歌い楽しさを感じたこと昔の青春映画「潮騒のメモリー」を見て主演女優の鈴鹿ひろ美に憧れを抱いたことをきっかけに芸能活動に目覚めてゆくぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【あさが来た】‬
‪1901年(明治34年)白岡あさは「日の出女子大学」の入学式での壇上にて学問を推奨する祝辞を入学者に述べていた遡ること1861年文久元年)京都の豪商・今井家の次女・あさは、お転婆で好奇心旺盛な11歳の少女だった、ある日、女ゆえに学問を許されないことや勝手に結婚を決められたことに不満を持ち父・忠興に猛反発して押入れに閉じこもる、そこへ訪れた許婚の白岡新次郎は、ゆっくり考えた上で将来を決めるよう諭し梅の木で誂えたそろばんを贈る、やがて父からそろばんの手習いを許されてその才能を発揮、いつしか店の番頭たちが目を見張るまでに上達していく時は流れ1865年(慶応元年)15歳に成長したあさは相変わらずお転婆で、両親や付き人たちを悩ませていたが同年春に姉・はつと、それぞれ祝言を挙げることが決まる、しかし久々に面会に現れたはつの許婚・眉山惣兵衛は冷淡で義母となる菊からは威圧され、はつは気丈に振る舞うが結婚への不安が増していく一方あさを定期的に訪ねていた新次郎は恋文を送ったのを最後に連絡を断つ音沙汰無くあさが不安を募らせていた頃、新次郎は重篤の兄に心を痛めていた祝言を挙げる直前になって新次郎と彼の父・正吉が今井家を訪れ兄の急逝により祝言の延期を申し出る、こうしてはつの祝言から半年後に、あさも白岡家に嫁入りするが新次郎は道楽に興じて家に寄り付かず、さらに家業に関われないなど制約が多いなか店の人々とは次第に仲良くなって経営について内緒で教えてもらうようになる店に貸付を強要した新選組に立ちはだかり返済の約束を交わしたあさは、その日より新次郎に大人の女性と認められ床を共にするようになるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【ひよっこ】‬
東京オリンピックの開幕が迫り高度経済成長が進む昭和39年、茨城県の山村・奥茨城村に住む高校3年生の谷田部みね子は地元を愛し家業の農作業を精力的に手伝いながら青春を謳歌していた5年前の不作で抱えた農協への借金返済のために父・実は東京へ出稼ぎし子供たちの運動靴は切れても補修して履き続けるなど決して裕福ではなかったが家族仲は円満で遠く離れて生活する実のことを常に気遣っていた、しかし同年の秋、東京の実へ宛てた手紙は返送されるようになり彼の失踪が発覚する村内のイベントの聖火リレーを終え東京オリンピックも終えた後も実の消息は判らぬまま日々は過ぎていき谷田部家はやがて大晦日を迎え父不在のまま年を明ける、みね子は父の捜索と家計のために急遽東京の企業への就職を決意し高校卒業後間もなく2人の幼馴染・助川時子と角谷三男と集団就職列車に乗り込み更に列車内で出会った青天目澄子も加わり上京する‬ぞ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【ごちそうさん】‬
‪1945年(昭和20年)夏、戦争で焼け野原となった大阪で子供たちに炊き出しを振る舞う一人の女性がいた彼女こそ、この物語の主人公・西門(卯野)め以子である遡ること1911年(明治44年)東京・本郷の西洋料理店「開明軒」に生まれ育っため以子は明るく活発だが無鉄砲でいつも食べ物のことばかり考えている、ある日、祖母の卯野トラが病で倒れ心配しため以子は以前トラが食べたがっていた「いちご」を探し奔走いちごを入手したものの帰り道に損失してしまいひどく落ち込む、そんなめ以子にトラは「ごちそうさま(ご馳走様)」の意味を教え、め以子に感謝するのであったトラが他界後の1922年(大正11年)高等女学校5年生のめ以子は、いずれ自由恋愛で条件のよい結婚をしたいと考えているが料理はおろか家事にも勉強にも全く関心が無い、ある日帝大生の西門悠太郎が下宿生として卯野家にやって来る自分には毒舌な悠太郎をめ以子は面白く思わないが彼から勉強を教わったことを機に無意識ながらも恋をする納豆嫌いの悠太郎のために試行錯誤して作った納豆料理を美味しく食べてもらえたことをきっかけに、め以子は料理に目覚め毎日彼と自分の弁当のおにぎりを考え作るようになるめ以子は条件の良い縁談が舞い込んだものの悠太郎への思いに気付き見合い途中で抜け出し悠太郎に求婚する自らの複雑な家庭事情にめ以子を巻き込みたく無い悠太郎はその場は求婚を断るが後日思い直し改めて彼女に求婚する、それぞれの学校を卒業した1923年(大正12年)の春、二人は悠太郎の郷里である大阪に向かうぞ‬

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【まんぷく】‬
昭和13年(1938年)春の大阪、高等女学校を卒業したばかりの今井福子は地元の大手ホテル「大阪東洋ホテル」への就職、数ヶ月後に控えた長姉・咲の結婚に胸をふくらませていた、しかし電話交換室に配属され仕事に慣れるため懸命な日々を送るなか、母・鈴が突然腹痛を起こし咲の結婚式の延期を懇願する鈴は咲が家を出た後の福子との2人暮らしに心許なさを感じ仮病を使っていたと判明し複雑な思いの福子だったが折しも職場でフロント係に昇格する、そして福子から英語教育を続けてくれたおかげで昇進出来たと感謝され恩返ししたいと聞いた鈴は咲の結婚を容認、結婚式は予定通り行われ感動に包まれた宴となる昭和16年(1941年)福子は咲の結婚式で幻灯機を貸してくれた業者・立花萬平と偶然再会する後日、萬平からの申し出を受け交際を始めた福子だったが鈴の猛反対、咲の結核による入院と死去、萬平が冤罪で憲兵隊に逮捕されるといった障害が次々と立ちはだかる、しかし福子の同僚・友人らの応援、咲の夫・小野塚真一の後押し萬平の友人・世良勝夫の協力で乗り越えて行く彼らの説得や二人の揺るがぬ決意に鈴は折れ昭和17年(1942年)萬平と福子は結婚する昭和19年(1944年)春、逮捕時の拷問の後遺症が元で徴兵を免れた萬平と暮らす福子は戦火が大阪に近づいていることを察し夫婦で鈴を連れて萬平のはとこが住む兵庫県の黒竹村に疎開する穏やかな疎開生活を過ごすなか萬平に赤紙が届くが腹膜炎を発症し回復後に徴兵されるも即日帰郷させられる福子と鈴は安堵するが萬平は周囲が国の為に献身するなかで何も出来ないと自責する昭和20年(1945年)8月に終戦を迎え同年秋に帰阪した三人であったが自宅は空襲で焼失したため近くに住む次姉・香田克子の家に身を寄せる物々交換や闇市へ私財を売るなどして喰いつなぐなかで世良と再会し触発された萬平は戦争で身分を証明する物も失い困っている人が多いと聞き、印鑑の製造販売を始める商売が軌道に乗り始めたある日、復員兵の神部茂が香田宅に空き巣に入る萬平と福子に親切にされ親しみを持った神部は克子の子どもたちの家庭教師として香田家に居候する、やがて克子の夫の忠彦が復員し帰宅、印鑑業も同業者の発生で下火となり萬平と福子は世良が紹介する泉大津の倉庫で商売を始めるため転居を決意、話を聞いた鈴と神部も立花夫婦に同行することを決める‬ぞ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【花子とアン】‬
‪1945年(昭和20年)4月の東京大空襲の最中、本作の主人公村岡花子は「命より大事」な翻訳途中の Anne of Green Gables の原書を懐に抱え子供たちを連れて戦火の中を逃げまどっていた52歳の花子[18]が命がけで守り抜いたこの原書は後年『赤毛のアン』の題名で翻訳出版され日本中で人気を博することになる山梨県甲府の貧しい小作農家に生まれ育ったはなは家の手伝いのため学校に通えなかったが1900年(明治33年)7歳の時、行商人の父・吉平からもらった絵本に強い興味を持ち父に導かれ尋常小学校に通い始める読み書きを習い始めたはなの聡明さに感心した父は彼女を東京のミッションスクール・修和女学校へ編入させようと動き出す家族と周囲に反対され諦めざるを得なくなるものの、はなの本を愛する気持ちは3年の年月を経て母・ふじと祖父修造の気持ちを動かし女学校への転校が叶う女学校へ転校当初、慣れない環境と苦手な英語に囲まれはなはホームシックになるが課題で不正を犯し外国人教師を傷心させた際に校長から助言を受け懸命に英語の勉強に取り組む決意をする自分が話す英語で外国人教師と和解した喜びは、その後の英語の勉強への励みとなり本科に進級した5年後には英語の成績はクラスで一番になるほど優秀になる、さらに通訳や英文の翻訳をするほどの実力を付け英語力を認めた教師たちから出版社のアルバイトを紹介されたり英語教師への推薦話が持ちかけられ卒業式では校長の通訳の任務を果たす、そんな女学校生活で出会った編入当初からの同期、醍醐亜矢子は友人としてはなを支え続け本科時に編入してきた8歳年上の葉山蓮子とは当初は反発し合うものの大文学会の演劇などを通して「腹心の友」となるまでに心を通い合わせ、青春時代を謳歌するほどなくして蓮子は葉山家の事情から福岡の実業家・嘉納伝助の元へ嫁ぐことが決まり反対するはなと仲違いして女学校を去る、しかし伝助には愛人の子、冬子がすでにおり蓮子を受け入れない女中らとの関係も悪く蓮子は嘉納家で孤立する女学校を卒業したはなは当初希望していた東京の出版社への就職を家庭の事情から諦め故郷の小学校の代用教員に就任する失敗が多く試行錯誤しながら教鞭をとるなか、ある生徒のために創作した童話『みみずの女王』が児童文学賞を受賞する、その後は教職に専念し4年の月日が流れたある日、歌集を出版した蓮子からの手紙に触発され再び筆を執る第二作『たんぽぽの目』は、かつてのアルバイト先の編集長・梶原聡一郎の好評を得て出版が決まり同時に彼が創業する出版社への誘いを受ける、はなは悩んだ末に本を作る夢を叶えるべく出版社の就職を決め東京へ向かうぞ‬

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【ゲゲゲの女房】‬
島根県安来市の飯田家の三女布美枝(ふみえ)は小さい頃からおとなしく内気な性格で背の高さにコンプレックスを持つ少女だった何度かの縁談があったが「背の高さ」から良縁に恵まれず29歳になった布美枝は実家の酒屋で家事手伝いの日々を送っていたが肩身の狭さも感じ始めていた、ある日、鳥取県境港市の出身で、東京都調布市に住んでいる39歳の貸本漫画家・村井茂(ペンネーム・水木しげる)との縁談が持ち上がった少し破天荒でマイペースな村井は戦争で所属した部隊のうち、ただ一人の生還を果たしていたが戦地で左腕を失っていたのだ1961年(昭和36年)見合いから5日後に結婚式を挙げて新婚生活が始まったものの暮らしはとても貧しく先の見えない苦しいものであった、それでも貸本漫画を書きつづける茂のひたむきな姿勢に心を打たれた布美枝は漫画のアシスタントも務めるなど「何があっても、この人と一緒に生きよう」と決意する、その後、出産・プロダクション立ち上げなどの数々の試練を乗りこえて商業誌デビューした水木は「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」「河童の三平」などの妖怪をモチーフにした人気作品を発表し、ついに漫画家として日の目をみる茂、結婚から5年それらの大ヒットを境にして二人の生活が激変していくのであったぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい!本日も無事にお送り致しました!朝の慌しさを落ち着かせてくれる朝ドラ、OPの曲を聴くと今日も頑張ろうと思わせてくれるあの安心感、今年も良い年でありますように…終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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土の中の生き物

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皆さんおこんばんは!元気かい?今年も残すところあと3日ですね、この1年何も思い出せないほどあっという間で怖くなります、これを後80回ほど繰り返すとおっちんでしまうずら!そんな今回は土に住みつく生き物を調べて行こうかと思うの、普段何も考えず踏みつけている地面にも必ずと言っていいほど生き物が居ます、そんな生き物を調べて伝えるんば!それでは最後までごゆるりとお過ごしくださいどうぞう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪土壌動物(どじょうどうぶつ)とは土壌中に生活する動物の総称、土壌に依存して生活している地上の生態系では植物の生産物は生きているうちに消費されるものが必ずしも多くなく植物遺体の形で堆積してゆくものがかなりの量に達する従って生きている植物を食べる草食動物から続く食物連鎖ではなく植物遺体を消費する生物から始まる腐生食物連鎖の比重が大きい従って落ち葉を分解する働きをしている土壌動物の占める役割は大きなものである地上の大型動物や鳥であっても土壌動物を餌として利用するものが少なくない大きいものではモグラやミミズ等が穴を掘って生活しており中型のものには落ち葉や土の間に生活する昆虫やダニなど小さなものでは落ち葉表面の水に生活する原生動物などが含まれる‬ぞ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【ジネズミ】‬
‪水辺や森林をはじめ河畔や農耕地周辺のしげみ人家周辺などにもに生息する小型昆虫、クモ類や土壌動物を捕食する寿命は1年ほどとされている雌は春から秋にかけて3頭前後の子供を産む子供を産む巣は草地や地上のくぼみなどにつくることが多く時には家屋の内部につくることもある繁殖期になると雄は強いにおいを出す危険を感じたときなど親子で移動する時は一列になり先頭の幼体が親の尾をくわえ、それに続く後ろの幼体がそれぞれの尾をくわえて鎖のようにつながって移動することがある、この様子は「キャラバン」と呼ばれている天敵はネコ(イエネコを含む)などの食肉目の哺乳類やモズなどの鳥類、ヘビなどの爬虫類であるネコを飼っている家ではネコが捕まえて持ち帰ることもあるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【トビムシ目】‬
‪乾燥に弱く水湿地や土壌などに生息する特に土壌中に生息するものが多く土壌中の個体数はササラダニと並んで節足動物では最も数が多いものである、まれに畑地などに大発生し、辺り一面を埋め尽くして人を驚かす種がある、ほかに海岸・洞穴・アリの巣に住むものもある北アメリカにはある種のシロアリの兵アリの頭の上に住み兵アリが働きアリから餌をもらう時わきから食べるトビムシが知られている食性は多くの種が雑食で落ち葉や腐植を中心に食べるものが多く真菌の菌糸や胞子・バクテリア・藻類・花粉・線虫なども摂食することが報告されている、ある種のトビムシは雪解けの時期に大発生をするものがありユキノミと呼ばれる場合によっては数メートルにわたって雪の表面が真っ黒になり窪みにたまったトビムシはスプーンですくえるほどになるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【ミミズ】‬
‪一般にミミズ類では体表面には目立った器官が見られないが下等なミズミミズなどでは容易に頭部器官を認識でき相対的に小さなこともあり眼点も目立つエラミミズなどでは外鰓が発達する大型の典型的なミミズ類であっても体表には微小な視細胞が散在し光の方向を感知することができる一般的なミミズの体の特徴は細長く、たくさんの体節に分かれていることである最先端には口前葉があり、ミズミミズ類にはここに眼点等があって頭部と認識できる例もあるが殆どのものでは極めて退化的で確認が難しい体表をよく見ると体節ごとに短いながらも頑丈な剛毛が生えているのが分かる、この剛毛がスパイクとして機能することでミミズは体の蠕動運動を前方への移動へと結びつけることができる淡水性の微小なミズミミズやオヨギミミズでは体のサイズと比べて相対的にかなり長い剛毛を持つ剛毛はまっすぐに近く単純な毛状剛毛と先端が曲がっており往々に先が二分する鉤型剛毛などの違いがあり、それらの特徴は分類上重視される、なお剛毛が皮膚から直接に出て疣足が見られないのは多毛類との大きな違いである成熟したミミズは体の前の方にいくつかの体節にまたがった肥大した帯状部分を持つ、この部分は外見では中の体節が区別できなくなっているから、そこだけ幅広く太くなった節があるように見える、これを環帯と呼んでいる多くの大型ミミズ類では環帯より前方の腹面に雄性生殖孔が環帯の腹面に雌性生殖孔がある、なお多毛類においては生殖腺はより多くの体節にまたがって存在する例が多いミミズにおいてそれがごく限られた体節にのみ存在することは、より異規体節制が進んだものとみなせるから、より進化した特徴と見ることができるミミズの体内は体節ごとに隔壁によって仕切られている、このような細かい部屋に仕切られた構造は壁が柔らかい材料でできていても、そこに体腔液の水圧をかけることでずいぶん頑丈なものになるミミズには骨もないのに、土を掘れるのはそのためで、このようなものを静水力学的骨格と呼ぶ循環器として血管があり背行血管と腹行血管が体幹を縦走している5つの血管がそれぞれ別々の働きをしている傷の修復能力が高く損傷を負うと血管から細胞を移動させて瞬時に修復できる、しかし呼吸器はなくガス交換は皮膚呼吸のみで行なう皮膚の毛細血管から酸素を取り込み二酸化炭素を排出している、そのためガス交換の速度・量に限界がありミミズの太さは直径2.6 cmが限度である消化器は体の先端部に口があり、そこから体幹の全長にわたって腸が伸びて、砂嚢及び小腸を通り後端部の肛門に続く咽頭腺から粘液を分泌し口から入った食物を移動させる腸に入るとリパーゼ、アミラーゼ、セルラーゼを分泌したんぱく質、脂質、多糖類、セルロースを吸収する、ひだの多いミミズの腸は栄養の吸収の効率が良い老廃物は各体節ごとに腎管によって排出されるぞ

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【アリ】‬
‪アリは卵 - 幼虫 - 蛹 - 成虫という完全変態を行う卵から蛹までを保護しながら家族単位で生活することがよく知られている蛹では繭を作る種類と作らない種類がある、いわゆる社会性昆虫の代表格であり真社会性を持つが実際にはかなりの多様性を含んでいる成虫は性別や役割に応じて「女王アリ」「働きアリ」「兵隊アリ」「雄アリ」「処女女王アリ」と分化していることが一般的によく知られている一般的には雄アリと女王が交尾し、その後、女王が単独で営巣、産卵する孵化した子が成長すると働きアリとなり、その後は女王が働きアリを産み続けることで群れは大きくなる女王が複数存在する例も少なくない、しかし中にはアミメアリのように「働きアリ」だけで卵を産んで増えるものやクロオオアリのように大型の「働きアリ」は居ても「兵隊アリ」として区別できないものなど様々な種類が存在するアフリカ大陸のサブサハラに生息するマタベレアリではシロアリの巣を襲う兵隊アリのうち、負傷した仲間を救護する「衛生兵アリ」が確認されている(ドイツのビュルツブルグ大学などの研究)ボルネオ島には腹部を「自爆」させて毒液を外敵に浴びせて撃退する兵隊アリを擁する種がおり(オーストリアのウィーン工科大学などの研究)群れとしての存続を優先する行動が見られる‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【ダンゴムシ】‬
‪動物に迷路を通り抜けさせる実験を迷路実験という普通は多くの回数をこなして学習をさせなければ成立せず脊椎動物以外では複雑な迷路を覚えられるものはほとんどないが迷路に入れられたオカダンゴムシが一発で通り抜けられることがある実はオカダンゴムシには進行中に壁にぶつかると左へ、次は右へ(あるいは右へ、次は左へ)と交互に曲がっていく習性がある、この行動は「交替性転向反応」といい左右に交互に曲がる事で天敵から逃げられる確率を高めているといわれている実験によると前に曲がった方向とは逆の方向へ曲がる確率は前転向点からの距離4cmで約85%距離16cmで、初めて方向を選択する対照群との差がなくなる、したがって、短い距離で交互に左右に曲がれば抜けられる迷路ならばオカダンゴムシは学習なしで通り抜けられるのであるぞ‬ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【ジグモ】‬
‪ジグモの巣は糸でできた細長い袋である壁際、木の根元などの地面に10cm ばかりの縦穴を掘り、その中を糸で裏打ちして糸でできた膜の円筒を作り、それをそのまま地上部に延長して先細りの袋として、そばの壁や木の幹に沿って伸ばし先端をそこに付着させる外から見ると地面から柔らかい紐か何かが伸びているように見える、その表面は土やゴミ苔などが付いて目につきにくくなっている、この地上部分をつまんでそっと引っ張ると地下部分を引き抜くことができるので中に住んでいるクモを捕まえることができる、この袋の地上に出た部分は捕虫装置としての性格をもっている餌は小型甲虫、ダンゴムシ、ワラジムシといった地表性の小動物などで、これらがこの袋の表面を歩いた時にジグモは袋越しに長大な鋏角で咬みつき袋を破れるままに巣内に引きずり込む食べかすは袋の先端から捨てられる、このクモは比較的飢餓には強いことが知られている卵はふわふわの糸で包まれた卵のうとして巣の中に産み付けられる孵化した幼虫は巣の先端から這い出し、そのまま近くの草や低木に登ってバルーニングする孵化から性成熟までに3〜4年を要する幼体は脱皮を繰り返して成長し、およそ7齢で成体となる成体の寿命はオスの場合1年足らずであるがメスは性成熟後も脱皮を行い数年生き続けるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい!本日も無事にお送り致しました!私達は生き物のトップに君臨しておるのですが、他の生き物達は私達をどのように思っているのでしょうか?気になるところですね…終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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山菜のしらべ

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皆さんおこんばんは!元気かい?もうすぐ東京オリンピックが開催されますね、応援している人が聖火ランナーに推薦されたらしく頗る嬉しい今日この頃、皆様はどのようにお過ごしでしょうか?年末に差し掛かりお忙しい日々を過ごしているかと思います、焦らず無理せず頑張って行きましょう!そんな今回は山菜について調べて行こうかと思います、わたくしめは山菜が好きで山に山菜を取りに行く程ではないのですがスーパーなどで売られていたらすぐ買ってしまいます独特の香りが癖になるずら、それでは最後までごゆるりとお過ごしくださいどうぞう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪山菜とは山野に自生し食用にする植物の総称、通常栽培はされず自生しているものを採取する山野に限らずハマボウフウオカヒジキのように海浜に自生する食用植物も「山菜」に含むノビルやヨモギなど土手やあぜ道に自生している植物で食用になる場合もあるが、これらは普通山菜とは区別して野草と呼ばれるいわゆる野菜として栽培されているものは長い歴史の中で栽培植物として品種改良を受けてきた、そのため味が良く収穫量も多い、それに対して野生植物である山菜は収穫量も多くなく味にもやや苦みがあったり灰汁があったりと、やや難がある場合が多い、しかしそこに独特の風味や変化が楽しめるという見方もある栽培種がさほど季節を問わないのに対して野生植物にははっきりした季節の変化があり、それを採取するのが季節の楽しみという面もある地域によっても種に違いがあるため地域の特異性も見いだしやすい。山里ではそれぞれに山菜料理を名物にしている店がある、もっとも近年では山菜も栽培される例が少なくなく広く流通しているものもある、そのため、名物の山菜料理がある程度どこでも同じものを出している、という例が少なくないのも事実であるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【タラの芽】‬
‪言わずと知れた「山菜の王様」タラの芽は山菜シーズンになるとみんながこぞって狙う人気の山菜です養殖物のタラの芽のシーズンは天然ものよりも少し早い2~3月なので、その時期になるとスーパーにも並ぶようになってくるでしょう成長がものすごく早く日当たりのいい場所を好むタラノキは、ぐんぐんとまっすぐ上に伸びていくので樹形で見分けやすく特に道路脇や林道など人の手が入ってひらけた日当たりのいい場所でよく見かけます収穫の際の注意点は「トゲだらけのタラノキの枝」と「ヤマウルシとの間違い」です特にヤマウルシの若芽とタラの芽は似ているため誤食やかぶれ被害に遭う人も多く注意が必要ですぞ‬

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【ふきのとう】‬
‪春の訪れを告げる山菜の代表格が「ふきのとう」です雪解け後の地面から残雪の合間をぬってひょっこり顔を出す新芽は、ほろ苦く独特の風味を持った山菜として人気があります道路沿いや河川敷などいたるところで見つけることができるので多くの人が一度は目にしたことがあるでしょう、しかしふきのとうについて意外と知られていないのが「(根に)毒を持っている」という点ですペタシテニンと呼ばれる毒は肝毒性があるためしっかり灰汁抜きをしないで食べたり根の部分を誤って食すると肝臓の病気を引き起こす可能性があると言われています雌雄異株のふきのとうは人によっては雄花の花粉がアレルギーを引き起こすことが知られているので、ふきのとうを採取する場合は雄花か雌花かをしっかりと見極めるというのもポイントになるでしょう最後に似ている植物に「ハシリドコロ」という有毒植物があります誤って食して死亡したケースもあるので、ふきのとうとの見分け方を覚えておくようにしましょう‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【ゼンマイ】‬
‪国産の天然ぜんまいは初心者には難易度の高い、ぬかるんだ急な斜面などにあることが多くスパイクシューズやアイゼンなどで万全の準備をして挑む場所に多く生えていますアクが多いため、あく抜きや下処理に手間がかかり乾燥ぜんまいを作る工程や乾燥ぜんまいを水で戻す工程にも数日かかるので、ちゃんと食べられるようにするのに時間がかかります、この採取の難易度の高さと加工の手間暇がかかることから国産のぜんまいは高級品として扱われることが多いので一度は挑戦してみたい憧れの山菜のひとつでもありますぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【ヤマウド】‬
‪大きく成長すると食用にならないことなどから「ウドの大木」などと言われますが若芽の時は香り高くとてもおいしい山菜です崩れたような山の斜面にあることが多く足元が滑らないようにスパイクシューズなどを履いていると安心ですアクはありますが採れたての色の薄いウドは皮を剥いて味噌などをつけてそのまま生で食べることができます一方でタケニグサという毒草の芽生えと似ているので注意しましょうぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【たらの芽】‬
‪‪新芽の採取時期は桜の8分咲きころに同期しており、里の桜がタラの芽の採取時期でもある採取は先端から上に向いた1番の芽と、その脇から斜めに伸びる2番程度までとし、あとは昨年に伸びた枝を見て芽の候補が残っているか確認する一定の時期を過ぎると候補と成る芽の素は枯れて発芽しない脇芽を含め全ての芽を摘み取ると立枯れするスーパーなどで見られる綺麗な緑色のタラの芽は昨年伸びた枝を伐採したもので敷き詰めたオガクズや水の入ったバケツに挿しておいたもの出荷前にビニールハウスで気温を上げ発芽させる天然ものよりもだいぶ味・香りが弱く水っぽさがある天然もののタラの芽のテンプラは冷えても歯ごたえがしっかりしているが枝切りして芽吹かせたタラの芽はテンプラが冷えるとしぼんでしまうぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【行者にんにく】‬
‪おおよそ5月上旬から中旬頃の山菜として知られており、葉茎を主に食用として用いる、おひたし、酢の物、天ぷらなどに用いる、しょうゆ漬けにして保存したりギョウザや卵焼きの具材にもなる茎の太さが1 cm程度でまだ葉の開かない状態のものが、味、香り共に濃く珍重される特に軟白栽培した物が人気があるニンニクよりもアリシンを豊富に含んでおり抗菌作用やビタミンB1活性を持続させる効果があり血小板凝集阻害活性のあるチオエーテル類も含むため血圧の安定、視力の衰えを抑制する効果がある成分を利用した健康食品も販売されているニンニクの成分に近いためか食べたときの風味もニンニクに近く独特の臭いを持ち極めて強い口臭を生じることがある、この匂いの発生は人間にかぎらず乳牛が放牧中に食べることによって牛乳がにんにく臭くなる問題が発生することがあるアイヌの人々は春先に大量に採集し乾燥保存して一年間料理の食材として利用していたオハウ(汁物)の具としたりラタシケプ(和え物)に調理して食べる西洋でもラムソン(ワイルドガーリック又はベアラウフ・熊ネギ)と呼ばれる野生種の植物を食べる習慣があり形や香りがよく似ていることから、これらをギョウジャニンニクとして紹介する場合がある、しかしラムソンの学名は Allium ursinum でギョウジャニンニクと同じくネギ属の植物だが別種である韓国では葉を醤油に漬けて焼き肉を包んで食べるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい!今回も無事にお送り致しました!山菜は天ぷらにすると美味しいですがその中で一番好きなのが枝豆の天ぷらです、お塩をパラパラっとふって食べると絶品だわさ…終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【おまけ】

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おめでとうございます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたちとサツマイモ

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皆さんおこんばんは!元気かい?月日の流れは早く令和元年も、もう少しで終わりを迎えますね、この1年皆様はどんな1年だったでしょうか?わたくしめは悔しい事楽しい事沢山ございました、何があったかは言えませんが…そんな今回は大人気のわたちシリーズ第2弾わたちとサツマイモでございます、寒くなると食べたくなるサツマイモ、どんなのがあるか楽しいですね、それでは最後までごゆるりとお過ごし下さいませどうぞう 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪サツマイモはヒルガオ科サツマイモ属の植物あるいはその食用部分である塊根この和名は琉球王国を経て薩摩国に伝わったことに由来する別名として甘藷(かんしょ)近縁の植物にアサガオやヨウサイがある英語圏の一部ではサツマイモ「sweet potato」を「Yam」などの別の名前で呼んでいるヤム芋を育てていたアフリカ系奴隷がアメリカ合衆国で作られた水っぽい「ソフトスイートポテト品種」をヤム芋と似ていたことから「ヤム」と呼ぶようになったアメリカなどでは本来のヤム芋は輸入食料品店ぐらいにしか置いてないことからヤムと表示されていれば「ラベルに注意書き」が無い限り「ソフト」スイートポテトのことである地方により歴史的にも呼称は変遷し、たとえば日本本土では「唐芋(からいも、とういも)」「琉球薯(りゅうきゅういも)」野國總管沖縄本島に導入した当時は「蕃薯(ばんしょ、はぬす、はんす、はんつ)」と呼ばれていたぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

‪【紅まさり】‬

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‪焼きいもにすると特に美味しい、そんな紅まさりですが肝心のお味はどうかといいますと水分も多く上品な甘さのあるさつまいもとなっております、その甘さを象徴するかのように、焼きいもにしたあと竹くしを刺してみると、そこから蜜が溢れ出てくるほどだとか舌触りもよく、しっとり系のさつまいもでありながらも従来のさつまいもの風味を感じられるのも特徴の一つと言えるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【シルクスイート】‬

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‪人気急上昇中のシルクスイート肝心のお味はどうかといいますと、前述のとおり甘みと舌触りが特徴と言えるでしょう強烈な甘さというのではないのですが結構甘さは感じやすいさつまいもとなっております、ですがその甘さが下品ではなく、とても上品でシルクのような舌触りがとても良いとされております、さらに十分に貯蔵すると、より甘みが増すというのですから是非とも焼き芋にして食べたいところです‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【めんげ芋】

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‬‪濃厚な甘みと舌ざわりがしっとりしていてとろけるような食感が特徴で繊維が少ないため焼きいもやふかしいもだけではなくスイーツなどの加工食品にも適しています、その甘味と繊維の無い滑らかな食感によってオーブンに入れるだけでスイートポテトのような仕上がりになります加熱すると全体が透き通ってほくほくとした食感ではなく滑らかになり安納芋ほどの粘りは無くスイートポテトのように仕上がるのです、めんげ芋の甘さは甘さだけが目立つのでは無く、しっとりとした食感と混ざり合い食べると程よい甘さとなって口いっぱいに広がります滑らかな食感のため冷めても美味しく食べることができます甘さがしつこくなく後味はさっぱりとしていて1本をあっという間に食べてしまうほど絶品のさつまいもです糖度とビタミンCの含有量が高く、でんぷん中のビタミンCは加熱しても破壊されにくいため加熱しても甘さとビタミンCの長所が発揮されますぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【ひめあやか】‬

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‪焼きいもやふかしいもなど加熱調理をするとやや粘質でしっとりとした食感になります調理後の黒変が少なく肉食は鮮やかできれいな黄色になります、さつまいもの家庭における消費の拡大には味が良いことはもちろんですが大きいと食べきれないという声が挙がっていました、そのことにより手軽に食べることができ扱いやすいことが必要だと考えられ従来のいもよりも小さいいもが付きやすい品種としてひめあやかは開発されましたぞ‬

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【アメリカ芋】‬

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‪貯蔵性が高く貯蔵することで糖度が増す蜜芋タイプのさつまいもです収穫後は「いも壺」と呼ばれる半地下の貯蔵庫で地熱を利用して約10℃に保たれた中で寝かせます甘味が強く、ほくほく系ではなくしっとりとした食感で、きめが細かく舌触りは滑らかです甘味は強いですが水飴のようなすっきりとした甘さはどこか懐かしく香りは干し芋を思わせます焼き芋にすると甘味があってしっとりしていて美味しいのはもちろん天ぷらにしても甘みを楽しむことができますぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい!本日も無事にお送り致しました!偶にやって来る焼き芋屋さん、あの独特な音色を聴くと何故か買いたくなるのは洗脳から来るものなのだろうか…終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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