kenyaのはてな

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お忍者のしらべ【極み】

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皆様おこんばんは!kenyaです2月も後半に差し掛かり、そろそろ花粉が舞い散る頃かと思います、わたくしめは花粉症で毎年悩まされているずら!そんな今回は皆様長らく待っていた極みシリーズの解禁でございます!第一弾はお忍者のしらべ、大昔に居たかは知りませんが海外の忍者人気がぱないの!調べてたいの!きっとときめく事間違い無し、それでは最後までごゆるりとお過ごし下さい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

室町時代から江戸時代の日本で大名や領主に仕え独立して諜報活動、破壊活動、浸透戦術、謀術、暗殺などを仕事としていたとされる、その名は日本国内にとどまらず世界的にもよく知られている領主に仕えずに戦毎に雇われる傭兵のような存在、伊賀衆・甲賀衆のような土豪集団もあれば乱波・透破のようなただのごろつき集団もある戦には足軽として参加し夜討ち朝駆けといった奇襲撹乱を得意とした伊賀・甲賀においては荘園時代から悪党がはびこり、それが後世に忍者と呼ばれる伊賀衆甲賀衆になる忍者は上忍、中忍、下忍に身分が分かれているように一部で信じられているが、実際の万川集海の記述は上忍とは「人の知る事なくして巧者なる」者である中世にはどの村落も軍事力を備えていたが、その軍事力は村落の自衛に用いられることもあり村落外の勢力に傭兵のように貸す場合もあった外から連れてきた子供を訓練することもあり伊賀では脱走者(いわゆる抜け忍)は探し出して処罰したと言うが実際には忍者は想像もつかない忙しさから一人や二人のためにそこまでする暇がなかったといわれ放置していたという説もあるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【服部氏伝説】‬
‪昭和37年(1962年)伊賀上野の旧家より「上嶋家文書(江戸時代末期の写本)」が発見された、これによると伊賀国の服部氏族・上嶋元成の三男が申楽役者・観阿弥で母は楠木正成の姉妹だったという、すなわち観阿弥楠木正成の甥だったことになる根拠は特にないが偽系図などと呼ばれている観阿弥の息子・世阿弥も「先祖は服部氏」と自称していた伊賀国では藤林・百地・服部の上忍三家が他の地侍支配下に最終的に合議制を敷いて戦国大名に支配されない地域を形成していた外部からの侵略に対しては結束して戦い織田信長伊賀国を支配するために送り込んだ築城奉行・滝川雄利を追放、その報復として攻め込んできた織田信雄の軍も彼らは壊滅させている改めて敵の一部を調略してから信長が大軍を編成し攻め込んできた際に、その他の伊賀国の忍者集団は壊滅的な打撃を受けた百地丹波以下100名が紀州の根来へと落ち延びたと言われるぞ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【くノ一】‬
‪女中や小間使いとして潜入して諜報活動を行っていた女性の忍者も存在した忍装束を着て映像作品や漫画作品などで活躍するような通俗的な姿は近代の創作とされる史実として武田信玄に仕えた歩き巫女の集団が有名「くのいちの術」と言って女性を使った忍術は存在するがこれとは異なる名称については「くノ一(くのいち)」といい女という文字を「く」「ノ」「一」と三文字に解体し呼称するようになった隠語表現を語源とする説明が一般的である、その他陰陽道における房術である「九一ノ道」からきたとする説など、いくつかの説があるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【海外での受容】‬
‪1918年の『Japan Magazine』に載った伊藤銀月による忍術の記事[1]が海外における忍者について最初の情報とされるが1964年の『Newsweek』に忍者の歴史や技の説明や日本での忍者ブームについて触れた記事が掲載され、これが欧米の忍者ブームの濫觴となった忍者が登場する最初の海外作品は1967年に映画化された『007は二度死ぬ』で現代版忍者の海外での最初のイメージを作ったこれ以降、忍者は欧米の大衆文化において「売れるブランド」として小説・映画が多数作られ1970年には欧文による最初のものと思われる英語の忍者解説書『見えない暗殺者』が出版された1970-1980年代には格闘技としての忍術も広まり忍者トレーニングなど忍術の実践そのものへの熱意といった日本とは異なる現象もみられる‬ぞ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【忍者刀】‬
‪日本刀と違って「切る事」に特化した刀ではありません忍具としての機能を付加されているのです刀自体は斬るよりも突きに向いているので鞘自体にも相手を突き貫くための機能があります鞘から刀を抜き放つのではなく鞘に入ったまま相手を突き刺すのです鞘は先を外すと筒状になり水中での息継ぎや壁に押し当てて隣の部屋の話を盗み聞きすることもできます忍者刀は鍔の部分が頑丈に作られているので高い塀を乗り越えるための足場として利用できるようになっているのですぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【手裏剣】‬
‪忍者と言えばコレ手の内に隠した剣の意味で手を離れて敵を伐つ剣と書いて「手離剣」とも表記されます忍者が使う手裏剣には風車型手裏剣と棒手裏剣の2種類があり風車型手裏剣は十字形の鉄板に刃がついていて棒手裏剣は文字通り鉄の棒片を尖らせたものです‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【鎖鎌】‬
‪分銅を直接相手にぶつけて怯ませたり鎖を相手の武器や手足に絡みつかせて動きを封じ、その隙に鎌で斬り付け止めを刺すのが一般的、短所として鎖分銅をかわされると鎖を巻き取り回収する手間がかかり隙が生じてしまう事と初心者にとっては鎖分銅の扱いが非常に難しい所ただし熟練者ともなれば分銅の一撃で相手の頭蓋を粉砕し得る一撃必殺の遠距離攻撃と化し鎖は相手の武器や体を封じ鎌は必殺の刃となるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【巻き菱】‬
‪調子に乗って戦っていると敵の増援が次々とやってきて「ずっと俺のターン」状態になる可能性が高くなるのです、それに忍者の目的は敵の持つ情報を早く持ち帰ることです何時までも追っ手と戦っている暇は無いのです、そんな時に役に立つのが巻き菱なのですぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【目潰し】‬
‪すぐに破れる材質の小袋や玉子の殻の中に石灰や唐辛子、山椒などの粉を詰めて相手に投げつけます当たると涙や鼻水が止まらなくなるので現代で言うところのいわば催涙弾ぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【兜割り】‬
‪兜割りとは十手に類似した打撃を目的にした武器で形状は小刀に類似している敵の斬撃を防御するために分厚く作られているため肉厚で重量も重い刃はついていないがこの武器に頭を直撃されれば文字通り兜を割られる事だろう‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい!本日も無事にお伝え致しました!子供の頃ナルトに憧れて忍者ごっこしていまして泥団子を顔面に喰らったのを思い出しました、思い出と言うものはふとした時に思い出しますね…終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【楽しい広場】

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