kenyaのはてな

日常の何気ないはてなを呟いていくんだ

僕とお習字のチェケラッチョ

f:id:kenya0411:20200110082031j:image

皆様おこんばんは元気かい?2020年になりましたね、今年はどんな1年になるのかワクテカでございます、わたくしめは去年達成出来なかったら事を今年こそは達成したいと思っております!何を達成するかは言えませんが一生懸命頑張るズラ、そんな今回はお習字について調べて行こうかと思われし、子供の頃トラウマになる程苦手だったお習字、嫌な思い出が蘇る事請け合いなし!それでは最後までごゆるりとお過ごし下さいませどうぞ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【書道】‬
‪書道(しょどう)または書(しょ)とは書くことで文字の美しさを表そうとする東洋の造形芸術であるカリグラフィーの一種、中国が起源であるが日本語圏においては漢字から派生した仮名、朝鮮語圏ではハングル、ベトナム語圏では同じく漢字から派生したチュノムやローマンアルファベットを使用するクォック・グーなどでも創作活動が行われている2009年に中国の書道がユネスコ無形文化遺産に登録された文字ははじめ実用として生まれたが、文化の進展につれ美的に表現する方法が生まれた、この美化された文字を書という書道とはこの文字の美的表現法を規格あるしつけのもとに学習しながら実用として生活を美化し趣味として心を豊かにし個性美を表現していくことである、そしてその学習過程において人格を練磨し情操を醇化していく、よって書道は人間修養の一方法であり古来中国では六芸の一つとして尊崇されてきた書道は主に毛筆と墨を使いその特徴を生かして紙の上に文字を書く、その技法(書法)には筆法、間架結構法、布置章法があり、それぞれに様々な方法が編み出され書体や書風などによって使い分けられている技法の習得には色々な教育機関を通じて書家に師事し古典を中心に学習し書道展などに出品しながら技量を高めていくのが一般的である書道史は美術に関する史学の一部門であり本源である中国の書道史と傍系である日本の書道史の2つに大別することができる、その書道史において現存する筆跡がもっとも重要な資料として活用され、その筆跡のもっとも重要な点はいつの時代に誰が何の目的で書いたかということであるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【筆】‬
‪毛は顕微鏡で見るとウロコ状の表皮に包まれた物体であることがわかるウロコ状の部分をcuticleと呼ぶ人毛の場合このキューティクルの隙間は0.1μmであり水などがこの隙間から進入すると毛全体が膨らみ反る、そのため作られた直後では膨らんだり毛が反り返るなどして性能を活かしきることができないススは元素的にはカーボン(炭素)である、このスス成分がキューティクルの隙間に沈着し水分の浸透を防止し膨らんだり反ったりしなくなる、さらにこれによりコシが出て墨の含みも良くなり最も良い状態でその性能を活かすことができる羊毛では作成直後は透通るような白い色をしているが使い込むに従って銀色に、さらに長年を経ると黄金色に輝き使用者自身の書きぶりが毛の癖となって表れ、その人の体の一部の如く使いこなしやすくなる、しかしその状態になるには墨液よりも摩った固形墨の方が良いと言える製造の途中で不揃いな毛などをすいており書字中に抜けてくるのは抜き出し損ねた残りであって少量であれば問題ない切れや抜けが多いと毛が減り割れを起こしたり毛先が効かなくなって使えなくなる‬ぞ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【硯(すずり)】‬
‪現代では石等を研磨し平たくしたもので墨を磨る為に表面に細かく目を立たせたものを用いる墨を溜める為の薄い窪みを墨池(海とも言う)墨を磨る為の少し高い部分を墨堂(丘とも言う)という、この様な現代に一般的に見られる墨池と墨堂からなる硯の成立は墨より遅く古代には乳鉢の様なもので墨を砥いで粉末状にして用いた早くから様々な材質と形状の硯があったが古くは陶硯が主流で円形の皿を多数の脚で支えるものが代表的な形である日本では7世紀から陶硯が利用され始め破損した陶器を再利用した転用硯も多かった∩や冂の形をした硯は中国の六朝時代に登場し六朝時代の終わりに石製の硯が登場した唐代に石硯が高級品として登場し下って宋代に普及品市場も石硯が占めて現代に至る日本で石製の硯は11世紀から見られるようになった日本での硯の使用自体は弥生時代に既に認められている(福岡県糸島市島根県松江市で出土)糸島市の潤地頭給(うるうじとうきゅう)遺跡のほか中原遺跡(佐賀県唐津市)東小田峯遺跡(福岡県筑前町)から出土したのは製作途上の石製硯やそれに関連すると推測される遺物である職人が硯を作る時には、墨を入れる海と盛り上がっている陸の間の滑らかなカーブ状の場所を削るのが最も苦労する場所となるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

‪【墨】‬
‪古代中国の甲骨文に墨書や朱墨の跡が発見されており殷の時代に発達した甲骨文字とときを同じくして使用されたと考えられる文字以外には文身にも使用され、これはのちに罪人の刑罰の一方法となった墨は漢代には丸めた形状に作られ墨丸と呼ばれた現存する日本最古の墨書は三重県嬉野町(現在は松阪市)貝蔵遺跡で出土した2世紀末の土器に記されていた「田」という文字であるとされている日本では『日本書紀』に中国の墨について記されているのが初出である、はじめて国内で墨が作られたのは奈良和束の松煙墨とされる、この松煙墨は「南都油煙墨」と呼ばれ遣唐使として唐へ行った空海が筆とともにその製法を大同元年(806年)に日本へ持ち帰り奈良の興福寺二諦坊で造ったのが始まりといわれる、この油煙墨の製造が盛んになったのは鎌倉時代である江戸時代に入ると各地でも製造されるようになったが古くから技術の高い奈良に多くの職人が集まり、その結果各地の墨の生産は衰えた奈良では日本の伝統産業として今日まで受け継がれている現在の墨の主要産地は奈良県産が9割のシェアを占めるが三重県産(鈴鹿墨)も知られる西洋へはインドを経由して輸出されてインディア・インクやチャイニーズ・インクと呼ばれ改良品も生まれ没食子インクやビストル(英語版)セピアと並び古典的なペン用インクとして使われる耐水性のインディア・インクには水や膠に代わって媒剤にアルコール溶媒やシェラック樹脂を用いた油性のものもあるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【文鎮 】‬
‪重量を利用する具体例として書道において半紙を固定するための文鎮や紙や布などの端に乗せ風で飛ばされるのを防ぐ目的で利用するペーパーウェイトがある固定以外の目的でも重量による効果として白菜漬けの際に付け汁が漬け物全体に行き渡る手助けとして用いたり(漬け物石)味噌を作る際に味噌の発酵を手助けする目的で用いることがある船舶を安定させるためのバラスト水フォークリフトやクレーンを安定させるためのカウンターウェイトのような用い方もある糸や布などの端に吊り下げて利用される重しは通常、おもり(重り・錘)と呼ばれる、おもりは糸などをぴんと張るため、あるいは鉛直を指し示すために利用される例えば釣りにおいて針やえさをうまく投げて沈めるためにおもりが使われカーテンのすそを安定させるためにはカーテンウエイトが糸を紡ぐためには紡錘が用いられる時計の動力とする場合など位置エネルギーを利用するような機械においてもおもりは使われる天秤ばかりなどの重量を計測する機器において測定する対象とつりあわせるために使う分銅についてもおもりと呼ばれる、これは吊り下げ型の天秤が一般的だった頃の名残であり一般に重心に対向して配置されつりあいを取るために利用される重しは、おもりと呼ばれる場合があるぞ‬ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【下敷き】‬
‪下敷き(したじき)とは物の下に敷く物の総称である。または、「倒木の下敷きになる」といった様に何かにつぶされた・もしくは乗っかられた様子を指す用法もある、だがとくに普通名詞としての「下敷き」は筆記をする紙などの下に敷くものを指す一般的に筆記の際に用いられる下敷きの材質は鉛筆・ペンなど硬筆用は堅いプラスチック・毛筆用は柔らかい毛氈であるノートや紙に何らかの事柄を書くとき下に敷いて使う板状の文房具であるノートを開いて下に何も敷かずに字を書き込もうとすると筆記者の筆圧によって多かれ少なかれノートの紙が下に沈みこむことで紙の裏に筆記の跡が残ることがある紙に字などを書く際、紙の下に凹凸があったり紙の下が柔らかい平面だったりすると書きにくい、このような場合、筆記をおこなう紙の下に硬く滑らかな板を敷いて書きやすく・かつ筆記される紙より下に筆記の跡が残りにくい状態にする、おもにこのような用途を目的として作られている板を下敷きという、ある程度の硬さを持ちつつ薄く軽量・平滑であり、さらに子供でも容易に購入できるよう安価であることが求められるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‪【半紙】‬
平安時代の「延喜式」の細則に和紙の規格の記載があり、その寸法は横二尺三寸(70センチメートル)縦一尺三寸(39センチメートル)でありそれを半分に切って使ったことからこのように呼ぶようになった江戸時代には専ら包装用に用いられ明治時代から習字に用いるようになった、これを更に半分に裁ち(半裁、全紙の1/4になる)二つ折りにしたものが力水を吐き出す際に使う「力紙」現在では毛筆習字用に文房具として大量生産されており最初からこの大きさで漉かれている、もっとも最初からこの大きさ=半紙規格で作られるのは半紙の極々一部「手漉半紙うちの一枚漉き」だけである、この一枚漉き手漉半紙が通常の半紙販路で流通することは稀と言うよりほとんどない、これ以外の半紙のまず全てが、それが手漉であれば「4丁とり」「6丁とり」等と呼ばれる半紙「4枚」「6枚」大の寸法で製紙され製紙の後半紙判に裁断される機械で漉く半紙は巾も1800mmと広いロール状で製紙され半紙に裁断する同一性質の半紙でも需要等の状況により製紙されるロールの太さ=半紙の枚数は異なるが文具ルートや書道ルートの販路に流通する半紙は平均で40万枚程度が一回の製紙で作られるぞ‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい!本日も無事にお送り致しました!大人になって触れることが無くなった習字用品、年に一度ぐらいは自分の思いを書き示しても良いかも知れませんね…終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【楽しい広場】

https://www.youtube.com/channel/UCRrBuXNviCRDhPo9EDIZauw

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【おまけ】 

f:id:kenya0411:20200110082156j:image